となお塩梅が悪くなって、胸は痛む、横腹《よこッぱら》は筋張るね、おいおい薄暗くはなって来る。暑いというので燈火《あかり》はつけずさ。陰気になって、いろんなことを考え出して、つい堪《たま》らなくなったから、横になろうと思っても、直ぐ背後《うしろ》に居るんだもの、立膝《たてひざ》も出来ないから、台所へ行って板の間にでもと思ったが、あすこにゃ蚊《か》が酷《ひど》いし、仕方がないから戸外《おもて》へ出て、軒下にしゃがんで泣いてた処へ、ちょうどお前さんが来ておくれで、二階へ来いとおいいだから、そっと上ると、まあ、おとしよりが御深切に、胸を押して下すったので、私ゃもう難有《ありがた》くッて、嬉しくッて、心じゃ手を合せて拝んだわ。
 おかげでやっと胸が開きそうになって、ほっと呼吸《いき》をついた処へ、
(貞はそこに参っておりましょうな。)と、壇階子《だんばしご》の下へ来て、わざわざ旦那が呼んだじゃあないかね。
 私ゃあんまりくさくさしたから、返事もしないで黙っていると、おばあさんがお聞きつけなすッて、
(階下《した》へおいで、ね、ね、そうしないと悪い)ッて、みんなもうちゃんと推量して、やさしく言って下さるんだもの。
(ここに居とうございます!)と、おばあ様《さん》の膝に縋《すが》りついたの。
 下ではなお呼ぶもんだから、おばあさんが私のかわりに返事をなすって、
(可いから、可いから。)と、低声《こごえ》でおっしゃってね、背《せなか》を撫でて下さるもんだから、仕方なしに下りて行くと、お客はもう帰っていてね、嫌な眼で睨《にら》まれたよ。
 空いてる室《ま》がないもんだから、そういう時には困っちまう。アレ悪く取っちゃあ困るわね。
 何も芳さんに二階を貸しておいて、こういっちゃあわるいけれど、はじめッからこの家《うち》は嫌いなの。
 水は悪いし、流元《ながしもと》なんざ湿地で、いつでもじくじくして、心持が悪いっちゃあない。雪どけの時分《ころ》になると、庭が一杯水になるわ。それから春から夏へかけては李《すもも》の樹が、毛虫で一杯。
 それに宅中《うちじゅう》陰気でね、明けておくと往来から奥の室《ま》まで見透《みとお》しだし、ここいら場末だもんだから、いや、あすこの宅はどうしたの、こうしたのと、近所中で眼を着けて、晩のお菜まで知ってるじゃあないかね。大嫌な猫がまた五六疋、野良猫が多いので、の
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