と後生《ごしょう》のことも思われるよ。
あれは、えらい僧正だって、旦那の勧める説教を聞きはじめてから、方々へ参詣《まい》ったり、教《おしえ》を聞いたりするんだがね。なるほどと思うことばかり、それでも世の中に逆らッて、それで、御利益があるッてことは、ちっとも聞かしちゃあくれないものを。
戸を推《お》ッつけてる雪のような、力の強い世の中に逆らって行《ゆ》こうとすると、そりゃ弱い方が殺されッちまうわ。そうすりゃもう死ぬより他《ほか》はないじゃないかね。
私ももうもう死んでしまいたいと思うけれど、それがまたそうも行《ゆ》かないものだし、このごろじゃ芳さんという可愛いものが出来たからね、私ゃ死ぬことは嫌になったわ。ほんとうさ! 自分の児が可愛いとか、芳さんとこうやって談話《はなし》をするのが嬉しいとか、何でも楽《たのし》みなことさえありゃ、たとい辛くッても、我慢が出来るよ。どうせ、私は意気地なしで、世間に負けているからね、そりゃ旦那は大事にもする、病気《やまい》が出るほど嫌な人でも、世間《よのなか》にゃ勝たれないから、たとい旦那が思い切って、縁を切ろうといってもね、どんな腹いせでも旦那にさせて、私ゃ、あやまって出て行《ゆ》かない。」
と歯をくいしめてすすり泣きつ。
十二
お貞は幾年来独り思い、独り悩みて、鬱積《うっせき》せる胸中の煩悶《はんもん》の、その一片をだにかつて洩《もら》せしことあらざりしを、いま打明くることなれば、順序も、次第も前後して、乱れ且つ整わざるにも心着かで、再び語り続けたり。
「いっちゃ女の愚痴だがね。私はさっきいったように、世の中というものがあって、自分ばかりじゃないからと、断念《あきら》めて、旦那に事《つか》えてはいるけれど、一日に幾度となく、もうふツふツ嫌になることがあるわ。
芳さんも知っておいでだ。ついこないだのことだっけ、晩方旦那の友達が来たので、私もその日は朝ッから、塩梅《あんばい》が悪くッて、奥の室《ま》に寝ていた処へ、推懸《おしか》けたもんだから、外に別に部屋はなし、ここへ出て坐っていたの。
お客がまた私の大嫌《だいきらい》な人で、旦那とは合口《あいくち》だもんだから、愉快《おもしろ》そうに[#「愉快《おもしろ》そうに」は底本では「愉快《おもしろ》さうに」]話してたッけが、私は頭痛がしていた処へ、その声を聞く
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