たんだろう。」
「あれ。」
「おっと……番毎怯《ばんごとおび》えるな、しっかりと掴《つかま》ったり……」
「あなた、邪慳《じゃけん》にお引張《ひッぱ》りなさいますな。綺麗《きれい》な草を、もうちっとで蹈《ふ》もうといたしました。可愛《かわい》らしい菖蒲《あやめ》ですこと。」
「紫羅傘《いちはつ》だよ、この山にはたくさん咲《さ》く[#「咲《さ》く」は底本では「吹《さ》く」]。それ、一面に。」
 星の数ほど、はらはらと咲き乱れたが、森が暗く山が薄鼠《うすねずみ》になって濡れたから、しきりなく梟の声につけても、その紫の俤《おもかげ》が、燐火《おにび》のようで凄《すご》かった。
 辿《たど》る姿は、松にかくれ、草にあらわれ、坂に沈《しず》み、峰に浮んで、その峰つづきを畝々《うねうね》と、漆のようなのと、真蒼《まさお》なると、赭《しゃ》のごときと、中にも雪を頂いた、雲いろいろの遠山《とおやま》に添うて、ここに射返《いかえ》されたようなお君《きみ》の色。やがて傘《かさ》一つ、山の端《は》に大《おおき》な蕈《くさびら》のようになった時、二人はその、さす方の、庚申堂《こうしんどう》へ着いたのである。

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