よ。」
と火鉢の縁《ふち》に軽く肱《ひじ》を凭《も》たせて、謙造は微笑《ほほえ》みながら、
「本来なら、こりゃお前さんがたが、客へお世辞《せじ》に云う事だったね。誰かに肖《に》ていらっしゃるなぞと思わせぶりを……ちと反対《あちこち》だったね。言いました。ああ、肖ている、肖ているッて。
そうです、確《たしか》にそう云った事を覚えているよ。」
お君は敷《し》けと云って差出された座蒲団《ざぶとん》より膝薄《ひざうす》う、その傍《かたわら》へ片手をついたなりでいたのである。が、薄化粧《うすげしょう》に、口紅《くちべに》濃《こ》く、目のぱっちりした顔を上げて、
「よその方が、誰かに肖ているとお尋ねなさいましたから、あなたがどうお返事を遊ばすかと存じまして、私は極《きまり》が悪うございましたけれども、そっと気をつけましたんですが、こういう処で話をする事ではない。まあまあ、とおっしゃって、それ切りになりましたのでございます。」
謙造は親しげに打頷《うちうなず》き、
「そうそうそう云いました。それが耳に入って気になったかね、そうかい。」
「いいえ、」とまた俯向いて、清らかな手巾《ハンケチ》を、袂の中で引靡《ひきなび》けて、
「気にいたしますの、なんのって、そういうわけではございません。あの……伺《うかが》いました上で、それにつきまして少々お尋《たず》ねしたいと存じまして。」と俯目《ふしめ》になった、睫毛《まつげ》が濃い。
「聞きましょうとも。その肖たという事の次第《わけ》を話すがね、まあ、もっとお寄んなさい。大分《だいぶ》眩《まぶ》しそうだ。どうも、まともに日が射すからね。さあ、遠慮をしないで、お敷きなさい。こうして尋ねて来なすった時はお客様じゃないか。威張《いば》って、威張って。」
「いいえ、どういたしまして、それでは……」
しかし眩《まば》ゆかったろう、下掻《したがい》を引いて座《ざ》をずらした、壁《かべ》の中央《なかば》に柱が許《もと》、肩に浴《あ》びた日を避《よ》けて、朝顔はらりと咲きかわりぬ。
「実はもうちっと間《ま》があると、お前さんが望みとあれば、今夜にもまた昨夜《ゆうべ》の家へ出向いて行って、陽気に一つ話をするんだがね、もう東京へ発程《たつ》んだからそうしてはいられない。」
「はい、あの、私もそれを承りましたので、お帰りになりません前《さき》と存じまして、お宿へ、飛《とん》だお邪魔《じゃま》をいたしましてございますの。」
「宿へお出《いで》は構わんが、こんな処で話してはちと真面目になるから、事が面倒になりはしないかと思うんだが。
そうかと云って昨夜《ゆうべ》のような、杯盤狼藉《はいばんろうぜき》という場所も困るんだよ。
実は墓参詣《はかまいり》の事だから、」
と云いかけて、だんだん火鉢を手許《てもと》へ引いたのに心着いて、一膝下って向うへ圧《お》して、
「お前さん、煙草《たばこ》は?」
黙《だま》って莞爾《にっこり》する。
「喫《の》むだろう。」
「生意気《なまいき》でございますわ。」
「遠慮なしにお喫《あが》り、お喫り。上げようか、巻いたんでよけりゃ。」
「いいえ、持っておりますよ。」
と帯の処へ手を当てる。
「そこでと、湯も沸《わ》いてるから、茶を飲みたければ飲むと……羊羹《ようかん》がある。一本五銭ぐらいなんだが、よければお撮《つま》みと……今に何ぞご馳走《ちそう》しようが、まあ、お尋《たずね》の件を済ましてからの事にしよう、それがいい。」
独《ひと》りで云って、独りで極《き》めて、
「さて、その事だが、」
「はあ、」
とまた片手をついた。胸へ気が籠《こも》ったか、乳のあたりがふっくりとなる。
「余り気を入れると他愛《たわい》がないよ。ちっとこう更《あらたま》っては取留めのない事なんだから。いいかい、」
ともの優しく念を入れて、
「私は小児《こども》の時だったから、唾《つばき》をつけて、こう引返すと、台なしに汚《よご》すと云って厭《いや》がったっけ。死んだ阿母《おふくろ》が大事にしていた、絵も、歌の文字も、対《つい》の歌留多《かるた》が別にあってね、極彩色《ごくさいしき》の口絵の八九枚入った、綺麗《きれい》な本の小倉百人一首《おぐらひゃくにんいっしゅ》というのが一冊あった。
その中のね、女用文章の処を開けると……」と畳の上で、謙造は何にもないのを折返した。
四
「トそこに高髷に結った、瓜核顔《うりざねがお》で品のいい、何とも云えないほど口許《くちもと》の優《やさし》い、目の清《すずし》い、眉の美しい、十八九の振袖《ふりそで》が、裾《すそ》を曳《ひ》いて、嫋娜《すらり》と中腰に立って、左の手を膝の処へ置いて、右の手で、筆を持った小児《こども》の手を持添えて、その小児《こども》の顔を
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