、ほんとうでございますか。」
といそいそ裳《もすそ》を靡《なび》かしながら、なおその窓を見入ったまま、敷居の手を離さなかったが、謙造が、脱《ぬ》ぎ棄《す》てた衣服《きもの》にハヤ手をかけた時であった。
「あれえ」と云うと畳にばったり、膝を乱して真蒼《まっさお》になった。
窓を切った松の樹の横枝へ、お君の顔と正面に、山を背負《しょ》って、むずと掴《つか》まった、大きな鳥の翼《つばさ》があった。狸《たぬき》のごとき眼《まなこ》の光、灰色の胸毛の逆立《さかだ》ったのさえ数えられる。
「梟《ふくろう》だ。」
とからからと笑って、帯をぐるぐると巻きながら、
「山へ行くのに、そんなものに驚いちゃいかんよ。そう極《きま》ったら、急がないとまた客が来る。あなた支度《したく》をして。山の下まで車だ。」と口でも云えば、手も叩く、謙造の忙《いそ》がしさ。その足許《あしもと》にも鳥が立とう。
七
「さっきの、さっきの、」
と微笑《ほほえ》みながら、謙造は四辺《あたり》を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みまわ》し、
「さっきのが……声だよ。お前さん、そう恐《こわ》がっちゃいかん。一生懸命《いっしょうけんめい》のところじゃないか。」
「あの、梟が鳴くんですかねえ。私はまた何でしょうと吃驚《びっくり》しましたわ。」
と、寄添《よりそ》いながら、お君も莞爾《にっこり》。
二人は麓《ふもと》から坂を一ツ、曲ってもう一ツ、それからここの天神の宮を、梢《こずえ》に仰《あお》ぐ、石段を三段、次第に上って来て、これから隧道《トンネル》のように薄暗い、山の狭間《はざま》の森の中なる、額堂《がくどう》を抜けて、見晴しへ出て、もう一坂越して、草原を通ると頂上の広場になる。かしこの回向堂を志して、ここまで来ると、あんなに日当りで、車は母衣《ほろ》さえおろすほどだったのが、梅雨期《つゆどき》のならい、石段の下の、太鼓橋《たいこばし》が掛《かか》った、乾《かわ》いた池の、葉ばかりの菖蒲《あやめ》がざっと鳴ると、上の森へ、雲がかかったと見るや、こらえずさっと降出したのに、ざっと一濡《ひとぬ》れ。石段を駆《か》けて上《のぼ》って、境内《けいだい》にちらほらとある、青梅《あおうめ》の中を、裳《もすそ》はらはらでお君が潜《くぐ》って。
さてこの額堂へ入って、一息ついたのである。
「暮れるには間《ま》があるだろうが、暗くなったもんだから、ここを一番と威《おど》すんだ。悪い梟さ。この森にゃ昔からたくさん居る。良《い》い月夜なんぞに来ると、身体《からだ》が蒼《あお》い後光がさすように薄ぼんやりした態《なり》で、樹の間にむらむら居る。
それをまた、腕白《わんぱく》の強がりが、よく賭博《かけ》なんぞして、わざとここまで来たもんだからね。梟は仔細《しさい》ないが、弱るのはこの額堂にゃ、古《ふるく》から評判の、鬼《おに》、」
「ええ、」
とまた擦寄《すりよ》った。謙造は昔懐《むかしなつか》しさと、お伽話《とぎばなし》でもする気とで、うっかり言ったが、なるほどこれは、と心着いて、急いで言い続けて、
「鬼の額だよ、額が上《あが》っているんだよ。」
「どこにでございます。」
と何《なん》にか押向《おしむ》けられたように顔を向ける。
「何、何でもない、ただ絵なんだけれど、小児《こども》の時は恐かったよ、見ない方がよかろう。はははは、そうか、見ないとなお恐《おそろ》しい、気が済まない、とあとへ残るか、それその額さ。」
と指《ゆびさ》したのは、蜘蛛《くも》の囲《い》の間にかかって、一面|漆《うるし》を塗ったように古い額の、胡粉《ごふん》が白くくっきりと残った、目隈《めぐま》の蒼ずんだ中に、一双虎《いっそうとら》のごとき眼《まなこ》の光、凸《なかだか》に爛々《らんらん》たる、一体の般若《はんにゃ》、被《かずき》の外へ躍出《おどりい》でて、虚空《こくう》へさっと撞木《しゅもく》を楫《かじ》、渦《うずま》いた風に乗って、緋《ひ》の袴《はかま》の狂《くる》いが火焔《ほのお》のように飜《ひるがえ》ったのを、よくも見ないで、
「ああ。」と云うと、ひしと謙造の胸につけた、遠慮《えんりょ》の眉は間《あわい》をおいたが、前髪は衣紋《えもん》について、襟《えり》の雪がほんのり薫《かお》ると、袖に縋った手にばかり、言い知らず力が籠《こも》った。
謙造は、その時はまださまでにも思わずに、
「母様《おっかさん》の記念《かたみ》を見に行くんじゃないか、そんなに弱くっては仕方がない。」
と半ば励《はげ》ます気で云った。
「いいえ、母様《おっかさん》が活《い》きていて下されば、なおこんな時は甘《あま》えますわ。」
と取縋《とりすが》っているだけに、思い切って、おさないものいい。
何となく身
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