女の子を悩ませる罪滅しに、真赤《まっか》に塗った顔なりに、すなわちハアトの一《ワン》である。真赤な中へ、おどけて、舌を出しておじぎをした。
「可厭《いや》だ。……ちょいと、半助さんは。」
「あいつは、もう。」
 揃って二人ともまたおじぎをして、
「昼間っから行方知れずで。」
 と口々に云う処へ、チャンチキ、チャンチキ、どどどん、ヒューラが、直ぐそこへ。――女中の影がむらむらと帳場へ湧《わ》く、客たちもぞろぞろ出て来る。……血の道らしい年増の女中が、裾長《すそなが》にしょろしょろしつつ、トランプの顔を見て、目で嬌態《しな》をやって、眉をひそめながら肩でよれついたのと、入交《いれまじ》って、門際へどっと駈出《かけだ》す。
 夫人も、つい誘われて門《かど》へ立った。
 高張《たかはり》、弓張《ゆみはり》が門の左右へ、掛渡した酸漿提灯《ほおずきぢょうちん》も、燦《ぱっ》と光が増したのである。
 桶屋《おけや》の凧《たこ》は、もう唸《うな》って先へ飛んだろう。馬二頭が、鼻あらしを霜夜にふつふつと吹いて曳《ひ》く囃子屋台を真中《まんなか》に、磽※[#「石+角」、第3水準1−89−6]《こうかく》たる石ころ路《みち》を、坂なりに、大師|道《みち》のいろはの辻のあたりから、次第さがりに人なだれを打って来た。弁慶の長刀《なぎなた》が山鉾《やまぼこ》のように、見える、見える。御曹子《おんぞうし》は高足駄、おなじような桃太郎、義士の数が三人ばかり。五人男が七人居て、雁《かり》がねが三羽揃った。……チャンチキ、チャンチキ、ヒューラと囃《はや》して、がったり、がくり、列も、もう乱れ勝《がち》で、昼の編笠をてこ舞に早がわりの芸妓《げいしゃ》だちも、微酔《ほろよい》のいい機嫌。青い髯《ひげ》も、白い顔も、紅《べに》を塗ったのも、一斉にうたうのは鰌《どじょう》すくいの安来節《やすぎぶし》である。中にぶッぶッぶッぶッと喇叭《らっぱ》ばかり鳴すのは、――これはどこかの新聞でも見た――自動車のつくりものを、腰にはめて行《ゆ》くのである。
 時に、井菊屋はほとんど一方の町はずれにあるから、村方へこぼれた祝場《いわいば》を廻り済《すま》して、行列は、これから川向《かわむこう》の演芸館へ繰込むのの、いまちょうど退汐時《ひきしおどき》。人は一倍群ったが、向側が崖沿《がけぞい》の石垣で、用水の流《ながれ》が急激に走るから、推《お》されて蹈《ふみ》はずす憂《うれい》があるので、群集は残らず井菊屋の片側に人垣を築いたため、背後《うしろ》の方の片袖の姿斜めな夫人の目には、山から星まじりに、祭屋台が、人の波に乗って、赤く、光って流れた。
 その影も、灯《ともしび》も、犬が三匹ばかり、まごまご殿《しんがり》しながらついて、川端の酸漿提灯の中へぞろぞろと黒くなって紛れたあとは、彳《たたず》んで見送る井菊屋の人たちばかり。早や内へ入るものがあって、急に寂しくなったと思うと、一足|後《おく》れて、暗い坂から、――異形《いぎょう》なものが下りて来た。
 疣々《いぼいぼ》打った鉄棒《かなぼう》をさし荷《にな》いに、桶屋も籠屋《かごや》も手伝ったろう。張抜《はりぬき》らしい真黒《まっくろ》な大釜《おおがま》を、蓋《ふた》なしに担いだ、牛頭《ごず》、馬頭《めず》の青鬼、赤鬼。青鬼が前へ、赤鬼が後棒《あとぼう》で、可恐《おそろ》しい面を被《かぶ》った。縫いぐるみに相違ないが、あたりが暗くなるまで真に迫った。……大釜の底にはめらめらと真赤《まっか》な炎を彩って燃《もや》している。
 青鬼が、
「ぼうぼう、ぼうぼう、」
 赤鬼が、
「ぐらッぐらッ、ぐらッぐらッ。」
 と陰気な合言葉で、国境の連山を、黒雲に背負《しょ》って顕《あらわ》れた。
 青鬼が、
「ぼうぼう、ぼうぼう、」
 赤鬼が、
「ぐらッぐらッ、ぐらッぐらッ。」
 よくない洒落《しゃれ》だ。――が、訳がある。……前に一度、この温泉町《ゆのまち》で、桜の盛《さかり》に、仮装会を催した事があった。その時、墓を出た骸骨《がいこつ》を装って、出歯《でっぱ》をむきながら、卒堵婆《そとば》を杖について、ひょろひょろ、ひょろひょろと行列のあとの暗がりを縫って歩行《ある》いて、女|小児《こども》を怯《おび》えさせて、それが一等賞になったから。……
 地獄の釜も、按摩の怨念《おんねん》も、それから思着いたものだと思う。一国の美術家でさえ模倣を行《や》る、いわんや村の若衆《わかしゅ》においてをや、よくない真似をしたのである。
「ぼうぼう、ぼうぼう。」
「ぐらッぐらッ、ぐらッぐらッ。」
「あら、半助だわ。」
 と、ひとりの若い女中が言った。
 石を、青と赤い踵《かかと》で踏んで抜けた二頭の鬼が、後《うしろ》から、前を引いて、ずしずしずしと小戻りして、人立《ひとだち》の薄さに、植込の常磐木《ときわぎ》の影もあらわな、夫人の前へ寄って来た。
 赤鬼が最も著しい造声《つくりごえ》で、
「牛頭《ごず》よ、牛頭よ、青牛よ。」
「もうー、」
 と牛の声で応じたのである。
「やい、十三塚にけつかる、小按摩な。」
「もう。」
「これから行って、釜へ打込《ぶちこ》め。」
「もう。」
「そりゃ――歩《あゆ》べい。」
「もう。」
「ああ、待って。」
 お桂さんは袖を投げて一歩《ひとあし》して、
「待って下さいな。」
 と釜のふちを白い手で留めたと思うと、
「お熱々《つつ》。」
 と退《すさ》って耳を圧《おさ》えた。わきあけも、襟も、乱るる姿は、電燭《でんき》の霜に、冬牡丹《ふゆぼたん》の葉ながらくずるるようであった。

       四

「小一さん、小一さん。」
 たとえば夜の睫毛《まつげ》のような、墨絵に似た松の枝の、白張《しらはり》の提灯は――こう呼んで、さしうつむいたお桂の前髪を濃く映した。
 婀娜《あだ》にもの優しい姿は、コオトも着ないで、襟に深く、黒に紫の裏すいた襟巻をまいたまま、むくんだ小按摩の前に立って、そと差覗《さしのぞ》きながら言ったのである。
 褄《つま》が幻のもみじする、小流《こながれ》を横に、その一条《ひとすじ》の水を隔てて、今夜は分けて線香の香の芬《ぷん》と立つ、十三地蔵の塚の前には外套《がいとう》にくるまって、中折帽《なかおれぼう》を目深《まぶか》く、欣七郎が杖《ステッキ》をついて彳《たたず》んだ。
(――実は、彼等が、ここに夜泣松の下を訪れたのは、今夜これで二度めなのであった――)
 はじめに。……話の一筋が歯に挟《はさま》ったほどの事だけれど、でも、その不快について処置をしたさに、二人が揃って、祭の夜《よ》を見物かたがた、ここへ来た時は。……「何だ、あの謙斎か、按摩め。こくめいで律儀らしい癖に法螺《ほら》を吹いたな。」そこには松ばかり、地蔵ばかり、水ばかり、何の影も見えなかった。空の星も晃々《きらきら》として、二人の顔も冴々《さえざえ》と、古橋を渡りかけて、何心なく、薬研《やげん》の底のような、この横流《よこながれ》の細滝に続く谷川の方を見ると、岸から映るのではなく、川瀬に提灯が一つ映った。
 土地を知った二人が、ふとこれに心を取られて、松の方《かた》へ小戻りして、向合った崖縁に立って、谿河《たにがわ》を深く透かすと、――ここは、いまの新石橋が架《かか》らない以前に、対岸から山伝いの近道するのに、樹の根、巌角《いわかど》を絶壁に刻んだ径《こみち》があって、底へ下りると、激流の巌から巌へ、中洲の大巌で一度中絶えがして、板ばかりの橋が飛々《とびとび》に、一煽《ひとあお》り飜って落つる白波のすぐ下流は、たちまち、白昼も暗闇《やみ》を包んだ釜ヶ淵なのである。
 そのほとんど狼の食い散《ちら》した白骨のごとき仮橋の上に、陰気な暗い提灯の一つ灯《び》に、ぼやりぼやりと小按摩が蠢《うご》めいた。
 思いがけない事ではない。二人が顔を見合せながら、目を放さず、立つうちに、提灯はこちらに動いて、しばらくして一度、ふわりと消えた。それは、巌《いわ》の根にかくれたので、やがて、縁日ものの竜燈のごとく、雑樹《ぞうき》の梢《こずえ》へかかった。それは崖へ上って街道へ出たのであった。
 ――その時は、お桂の方が、衝《つ》と地蔵の前へ身を躱《かわ》すと、街道を横に、夜泣松の小按摩の寄る処を、
「や、御趣向だなあ。」と欣七郎が、のっけに快活に砕けて出て、
「疑いなしだ、一等賞。」
 小按摩は、何も聞かない振《ふり》をして、蛙《かわず》が手を※[#「てへん+爭」、第4水準2−13−24]《もが》くがごとく、指で捜《さぐ》りながら、松の枝に提灯を釣すと、謙斎が饒舌《しゃべ》った約束のごとく、そのまま、しょぼんと、根に踞《かが》んで、つくばい立《だち》の膝の上へ、だらりと両手を下げたのであった。
「おい。一等賞君、おい一杯飲もう。一所に来たまえ。」
 その時だ。
「ぴい、ぷう。」
 笛を銜《くわ》えて、唇を空ざまに吹上げた。
「分ったよ、一等賞だよ。」
「ぴい、ぷう。」
「さ、祝杯を上げようよ。」
「ぴい、ぷう。」
 空嘯《そらうそぶ》いて、笛を鳴す。
 夫人が手招きをした。何が故に、そのうしろに竜女の祠《ほこら》がないのであろう、塚の前に面影に立った。
「ちえッ」舌うちとともに欣七郎は、強情、我慢、且つ執拗《しつよう》な小按摩を見棄てて、招かれた手と肩を合せた、そうして低声《こごえ》をかわしかわし、町の祭の灯《ともしび》の中へ、並んでスッと立去った。
「ぴい、ぷう。……」

「小一さん。」
 しばらくして、引返して二人来た時は、さきにも言った、欣七郎が地蔵の前に控えて、夫人自ら小按摩に対したのである。
「ぴい、ぷう。」
「小一さん。」
「ぴい、ぷう。」
「大島屋の娘はね、幽霊になってしまったのよ。」
 と一歩《ひとあし》ひきさま、暗い方に隠れて待った、あの射的店の幽霊を――片目で覗いていた方のである――竹棹《たけざお》に結《ゆわ》えたなり、ずるりと出すと、ぶらりと下って、青い女が、さばき髪とともに提灯を舐《な》めた。その幽霊の顔とともに、夫人の黒髪、びん掻《かき》に、当代の名匠が本質《きじ》へ、肉筆で葉を黒漆《くろうるし》一面に、緋《ひ》の一輪椿の櫛《くし》をさしたのが、したたるばかり色に立って、かえって打仰いだ按摩の化ものの真向《まっこう》に、一太刀、血を浴びせた趣があった。
「一所に、おいでなさいな、幽霊と。」
 水ぶくれの按摩の面《おもて》は、いちじくの実の腐れたように、口をえみわって、ニヤリとして、ひょろりと立った。
 お桂さんの考慮《かんがえ》では、そうした……この手段を選んで、小按摩を芸妓屋《げいしゃや》町の演芸館。……仮装会の中心点へ送込もうとしたのである。そうしてしまえば、ねだ下、天井裏のばけものまでもない……雨戸の外の葉裏にいても気味の悪い芋虫を、銀座の真中《まんなか》へ押放《おっぱな》したも同然で、あとは、さばさばと寐覚《ねざめ》が可《い》い。
 ……思いつきで、幽霊は、射的店で借りた。――欣七郎は紳士だから、さすがにこれは阻《はば》んだので、かけあいはお桂さんが自分でした。毛氈《もうせん》に片膝のせて、「私も仮装をするんですわ。」令夫人といえども、下町娘《したまちッこ》だから、お祭り気は、頸脚《えりあし》に幽《かすか》な、肌襦袢《はだじゅばん》ほどは紅《くれない》に膚《はだ》を覗《のぞ》いた。……
 もう容易《たやす》い。……つくりものの幽霊を真中《まんなか》に、小按摩と連立って、お桂さんが白木の両ぐりを町に鳴すと、既に、まばらに、消えたのもあり、消えそうなのもある、軒提灯の蔭を、つかず離れず、欣七郎が護《まも》って行《ゆ》く。
 芸妓屋町へ渡る橋手前へ、あたかも巨寺《おおでら》の門前へ、向うから渡る地蔵の釜《かま》。
「ぼうぼう、ぼうぼう。」
「ぐらッぐらッ、ぐらッぐらッ。」
「や、小按摩が来た……出掛けるには及ばぬわ、青牛よ。」
「もう。」
 と、吠《ほ》える。
「ぴい、ぷう。」
「ぼうぼう、ぼうぼう。」
「ぐらッぐらッ、ぐらッぐらッ。」
 そこ
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