に、しょんぼりと踞《かが》んでおります。そのむくみ加減といい、瓢箪頭のひしゃげました工合《ぐあい》、肩つき、そっくり正《しょう》のものそのままだと申すことで……現に、それ。」
「ええ。」
お桂もぞッとしたように振向いて肩をすぼめた。
「わしどもが、こちらへ伺います途中でも、もの好きなのは、見て来た、見に行くと、高声で往来が騒いでいました。」
謙斎のこの話の緒《いとぐち》も、はじめは、その事からはじまった。
それ、谿川《たにがわ》の瀬、池水の調べに通《かよ》って、チャンチキ、チャンチキ、鉦入《かねい》りに、笛の音、太鼓の響《ひびき》が、流れつ、堰《せ》かれつ、星の静《しずか》な夜《よ》に、波を打って、手に取るごとく聞えよう。
実は、この温泉の村に、新《あらた》に町制が敷かれたのと、山手《やまのて》に遊園地が出来たのと、名所に石の橋が竣成したのと、橋の欄干に、花電燈が点《つ》いたのと、従って景気が可《よ》いのと、儲《もうか》るのと、ただその一つさえ祭の太鼓は賑《にぎわ》うべき処に、繁昌《はんじょう》が合奏《オオケストラ》を演《や》るのであるから、鉦は鳴す、笛は吹く、続いて踊らずにはいられない。
何年めかに一度という書入れ日がまた快晴した。
昼は屋台が廻って、この玄関前へも練込んで来て、芸妓連《げいしゃれん》は地に並ぶ、雛妓《おしゃく》たちに、町の小女《こおんな》が交《まじ》って、一様の花笠で、湯の花踊と云うのを演《や》った。屋台のまがきに、藤、菖蒲《あやめ》、牡丹《ぼたん》の造り花は飾ったが、その紅紫の色を奪って目立ったのは、膚脱《はだぬぎ》の緋《ひ》より、帯の萌葱《もえぎ》と、伊達巻の鬱金《うこん》縮緬《ちりめん》で。揃って、むら兀《はげ》の白粉《おしろい》が上気して、日向《ひなた》で、むらむらと手足を動かす形は、菜畠《なばたけ》であからさまに狐が踊った。チャンチキ、チャンチキ、田舎の小春の長閑《のどけ》さよ。
客は一統、女中たち男衆《おとこしゅ》まで、挙《こぞ》って式台に立ったのが、左右に分れて、妙に隅を取って、吹溜《ふきだま》りのように重《かさな》り合う。真中《まんなか》へ拭込《ふきこ》んだ大廊下が通って、奥に、霞へ架けた反橋《そりはし》が庭のもみじに燃えた。池の水の青く澄んだのに、葉ざしの日加減で、薄藍《うすあい》に、朧《おぼろ》の銀に、青い金に、鯉の影が悠然と浮いて泳いで、見ぶつに交った。ひとりお桂さんの姿を、肩を、褄《つま》を、帯腰を、彩ったものであった。
この夫婦は――新婚旅行の意味でなく――四五年来、久しぶりに――一昨日温泉へ着いたばかりだが、既に一週間も以前から、今日の祝日の次第、献立|書《がき》が、処々《ところどころ》、紅《くれない》の二重圏点つきの比羅《びら》になって、辻々、塀、大寺の門、橋の欄干に顕《あら》われて、芸妓《げいしゃ》の屋台囃子《やたいばやし》とともに、最も注意を引いたのは、仮装行列の催《もよおし》であった。有志と、二重圏点、かさねて、飛入勝手次第として、祝賀委員が、審議の上、その仮装の優秀なるものには、三等まで賞金美景を呈すとしたのに、読者も更《あらた》めて御注意を願いたい。
だから、踊屋台の引いて帰る囃子の音に誘われて、お桂が欣七郎とともに町に出た時は、橋の上で弁慶に出会い、豆府屋から出る緋縅《ひおどし》の武者を見た。床屋の店に立掛《たちかか》ったのは五人男の随一人、だてにさした尺八に、雁《かり》がねと札を着けた。犬だって浮かれている。石垣下には、鶩《あひる》が、がいがいと鳴立てた、が、それはこの川に多い鶺鴒《せきれい》が、仮装したものではない。
泰西の夜会の例に見ても、由来仮装は夜のものであるらしい。委員と名のる、もの識《しり》が、そんな事は心得た。行列は午後五時よりと、比羅に認《したた》めてある。昼はかくれて、不思議な星のごとく、颯《さっ》と夜《よ》の幕を切って顕《あらわ》れる筈《はず》の処を、それらの英雄|侠客《きょうかく》は、髀肉《ひにく》の歎《たん》に堪えなかったに相違ない。かと思えば、桶屋《おけや》の息子の、竹を削って大桝形《おおますがた》に組みながら、せっせと小僧に手伝わして、しきりに紙を貼《は》っているのがある。通りがかりの馬方と問答する。「おいらは留《や》めようと思ったが、この景気じゃあ、とても引込《ひっこ》んでいられない。」「はあ、何に化けるね。」「凧《たこ》だ……黙っていてくれよ。おいらが身体《からだ》をそのまま大凧に張って飛歩行《とびある》くんだ。両方の耳にうなりをつけるぜ。」「魂消《たまげ》たの、一等賞ずらえ。」「黙っててくんろよ。」馬がヒーンと嘶《いなな》いた。この馬が迷惑した。のそりのそりと歩行《ある》き出すと、はじめ、出会ったのは緋縅の武者で、続いて出たのは雁がね、飛んで来たのは弁慶で、争って騎《の》ろうとする。揉《も》みに揉んで、太刀と長刀《なぎなた》が左右へ開いて、尺八が馬上に跳返った。そのかわり横田圃《よこたんぼ》へ振落された。
ただこのくらいな間《ま》だったが――山の根に演芸館、花見座の旗を、今日はわけて、山鳥のごとく飜した、町の角の芸妓屋《げいしゃや》の前に、先刻の囃子屋台が、大《おおき》な虫籠《むしかご》のごとくに、紅白の幕のまま、寂寞《せきばく》として据《すわ》って、踊子の影もない。はやく町中《まちなか》、一練《ひとねり》は練廻って剰《あま》す処がなかったほど、温泉の町は、さて狭いのであった。やがて、新造の石橋で列を造って、町を巡《まわ》りすました後では、揃ってこの演芸館へ練込んで、すなわち放楽の乱舞となるべき、仮装行列を待顔に、掃清《はききよ》められた状《さま》のこのあたりは、軒提灯《のきぢょうちん》のつらなった中に、かえって不断より寂しかった。
峰の落葉が、屋根越に――
日蔭の冷い細流《せせらぎ》を、軒に流して、ちょうどこの辻の向角《むこうかど》に、二軒並んで、赤毛氈《あかもうせん》に、よごれ蒲団《ぶとん》を継《つぎ》はぎしたような射的店《しゃてきみせ》がある。達磨《だるま》落し、バットの狙撃《そげき》はつい通りだが、二軒とも、揃って屋根裏に釣った幽霊がある。弾丸《たま》が当ると、ガタリざらざらと蛇腹に伸びて、天井から倒《さかさま》に、いずれも女の幽霊が、ぬけ上った青い額と、縹色《はなだいろ》の細い頤《あご》を、ひょろひょろ毛から突出して、背筋を中反りに蜘蛛《くも》のような手とともに、ぶらりと下る仕掛けである。
「可厭《いや》な、あいかわらずね……」
お桂さんが引返そうとした時、歩手前《あしてまえ》の店のは、白張《しらはり》の暖簾《のれん》のような汚れた天蓋《てんがい》から、捌髪《さばきがみ》の垂れ下った中に、藍色の片頬《かたほ》に、薄目を開けて、片目で、置据えの囃子屋台を覗《のぞ》くように見ていたし、先隣《さきどなり》なのは、釣上げた古行燈《ふるあんどん》の破《やぶれ》から、穴へ入ろうとする蝮《まむし》の尾のように、かもじの尖《さき》ばかりが、ぶらぶらと下っていた。
帰りがけには、武蔵坊《むさしぼう》も、緋縅も、雁がねも、一所に床屋の店に見た。が、雁がねの臆面《おくめん》なく白粉を塗りつつ居たのは言うまでもなかろう。
――小一按摩のちびな形が、現に、夜泣松の枝の下へ、仮装の一個《ひとつ》として顕《あらわ》れている――
按摩の謙斎が、療治しつつ欣七郎に話したのは――その夜、食後の事なのであった。
三
「半助さん、半助さん。」
すらすらと、井菊の広い帳場の障子へ、姿を見せたのはお桂さんである。
あの奥の、花の座敷から来た途中は――この家《や》での北国だという――雪の廊下を通った事は言うまでもない。
カチリ……
ハッと手を挙げて、珊瑚《さんご》の六分珠《ろくぶだま》をおさえながら、思わず膠《にかわ》についたように、足首からむずむずして、爪立ったなり小褄《こづま》を取って上げたのは、謙斎の話の舌とともに、蛞蝓《なめくじ》のあとを踏んだからで、スリッパを脱ぎ放しに釘でつけて、身ぶるいをして衝《つ》と抜いた。湯殿から蒸しかかる暖い霧も、そこで、さっと肩に消えて、池の欄干を伝う、緋鯉《ひごい》の鰭《ひれ》のこぼれかかる真白《まっしろ》な足袋はだしは、素足よりなお冷い。で……霞へ渡る反橋《そりばし》を視《み》れば、そこへ島田に結った初々しい魂が、我身を抜けて、うしろ向きに、気もそぞろに走る影がして、ソッと肩をすぼめたなりに、両袖を合せつつ呼んだのである。
「半助さん……」ここで踊屋台を視《み》た、昼の姿は、鯉を遊ばせた薄《うす》もみじのさざ波であった。いまは、その跡を慕って大鯰《おおなまず》が池から雫《しずく》をひたひたと引いて襲う気勢《けはい》がある。
謙斎の話は、あれからなお続いて、小一の顕われた夜泣松だが、土地の名所の一つとして、絵葉書で売るのとは場所が違う。それは港街道の路傍《みちばた》の小山の上に枝ぶりの佳いのを見立てたので。――真の夜泣松は、汽車から来る客たちのこの町へ入る本道に、古い石橋の際に土をあわれに装《も》って、石地蔵が、苔蒸《こけむ》し、且つ砕けて十三体。それぞれに、樒《しきみ》、線香を手向けたのがあって、十三塚と云う……一揆《いっき》の頭目でもなし、戦死をした勇士でもない。きいても気の滅入《めい》る事は、むかし大饑饉《おおききん》の年、近郷から、湯の煙を慕って、山谷《さんこく》を這出《はいで》て来た老若男女《ろうにゃくなんにょ》の、救われずに、菜色して餓死した骨を拾い集めて葬ったので、その塚に沿った松なればこそ、夜泣松と言うのである。――昼でも泣く。――仮装した小按摩の妄念は、その枝下、十三地蔵とは、間に水車の野川が横に流れて石橋の下へ落ちて、香都良川へ流込む水筋を、一つ跨《また》いだ処に、黄昏《たそがれ》から、もう提灯を釣《つる》して、裾《すそ》も濡れそうに、ぐしゃりと踞《しゃが》んでいる。
今度出来た、谷川に架けた新石橋は、ちょうど地蔵の斜向《すじむか》い。でその橋向うの大旅館の庭から、仮装は約束のごとく勢揃をして、温泉の町へ入ったが、――そう云ってはいかがだけれど、饑饉|年《どし》の記念だから、行列が通るのに、四角な行燈《あんどん》も肩を円くして、地蔵前を半輪《はんわ》によけつつ通った。……そのあとへ、人魂《ひとだま》が一つ離れたように、提灯の松の下、小按摩の妄念は、列の中へ加わらずに孤影|※[#「(火+火)/訊のつくり」、第4水準2−79−80]然《けいぜん》として残っている。……
ぬしは分らない、仮装であるから。いずれ有志の一人と、仮装なかまで四五人も誘ったが、ちょっと手を引張《ひっぱ》っても、いやその手を引くのが不気味なほど、正《しょう》のものの身投げ按摩で、びくとも動かないでいる。……と言うのであった。
――これを云った謙斎は、しかし肝心な事を言いわすれた、あとで分ったが、誘うにも、同行を促すにも、なかまがこもごも声を掛けたのに、小按摩は、おくびほども口を利かない。「ぴい、ぷう。」舌のかわりに笛を。「ぴいぷう」とただ笛を吹いた。――
半ば聞ずてにして、すっと袖の香とともに、花の座敷を抜けた夫人は、何よりも先にその真偽のほどを、――そんな事は遊びずきだし一番|明《あかる》い――半助に、あらためて聞こうとした。懸念に処する、これがお桂のこの場合の第一の手段であったが。……
居ない。
「おや、居ないの。」
一層袖口を引いて襟冷く、少しこごみ腰に障子の小間《こま》から覗くと、鉄の大火鉢ばかり、誰も見えぬ。
「まあ。」
式台わきの横口にこう、ひょこりと出るなり、モオニングのひょろりとしたのが、とまずシルクハットを取って高慢に叩頭《おじぎ》したのは……
「あら。」
附髯《つけひげ》をした料理番。並んで出たのは、玄関下足番の好男子で、近頃夢中になっているから思いついた、頭から顔一面、厚紙を貼って、胡粉《ごふん》で潰《つぶ》した、不断
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