走るから、推《お》されて蹈《ふみ》はずす憂《うれい》があるので、群集は残らず井菊屋の片側に人垣を築いたため、背後《うしろ》の方の片袖の姿斜めな夫人の目には、山から星まじりに、祭屋台が、人の波に乗って、赤く、光って流れた。
 その影も、灯《ともしび》も、犬が三匹ばかり、まごまご殿《しんがり》しながらついて、川端の酸漿提灯の中へぞろぞろと黒くなって紛れたあとは、彳《たたず》んで見送る井菊屋の人たちばかり。早や内へ入るものがあって、急に寂しくなったと思うと、一足|後《おく》れて、暗い坂から、――異形《いぎょう》なものが下りて来た。
 疣々《いぼいぼ》打った鉄棒《かなぼう》をさし荷《にな》いに、桶屋も籠屋《かごや》も手伝ったろう。張抜《はりぬき》らしい真黒《まっくろ》な大釜《おおがま》を、蓋《ふた》なしに担いだ、牛頭《ごず》、馬頭《めず》の青鬼、赤鬼。青鬼が前へ、赤鬼が後棒《あとぼう》で、可恐《おそろ》しい面を被《かぶ》った。縫いぐるみに相違ないが、あたりが暗くなるまで真に迫った。……大釜の底にはめらめらと真赤《まっか》な炎を彩って燃《もや》している。
 青鬼が、
「ぼうぼう、ぼうぼう、」
 赤鬼が、
「ぐらッぐらッ、ぐらッぐらッ。」
 と陰気な合言葉で、国境の連山を、黒雲に背負《しょ》って顕《あらわ》れた。
 青鬼が、
「ぼうぼう、ぼうぼう、」
 赤鬼が、
「ぐらッぐらッ、ぐらッぐらッ。」
 よくない洒落《しゃれ》だ。――が、訳がある。……前に一度、この温泉町《ゆのまち》で、桜の盛《さかり》に、仮装会を催した事があった。その時、墓を出た骸骨《がいこつ》を装って、出歯《でっぱ》をむきながら、卒堵婆《そとば》を杖について、ひょろひょろ、ひょろひょろと行列のあとの暗がりを縫って歩行《ある》いて、女|小児《こども》を怯《おび》えさせて、それが一等賞になったから。……
 地獄の釜も、按摩の怨念《おんねん》も、それから思着いたものだと思う。一国の美術家でさえ模倣を行《や》る、いわんや村の若衆《わかしゅ》においてをや、よくない真似をしたのである。
「ぼうぼう、ぼうぼう。」
「ぐらッぐらッ、ぐらッぐらッ。」
「あら、半助だわ。」
 と、ひとりの若い女中が言った。
 石を、青と赤い踵《かかと》で踏んで抜けた二頭の鬼が、後《うしろ》から、前を引いて、ずしずしずしと小戻りして、人立《ひとだち》の薄さに、植込の常磐木《ときわぎ》の影もあらわな、夫人の前へ寄って来た。
 赤鬼が最も著しい造声《つくりごえ》で、
「牛頭《ごず》よ、牛頭よ、青牛よ。」
「もうー、」
 と牛の声で応じたのである。
「やい、十三塚にけつかる、小按摩な。」
「もう。」
「これから行って、釜へ打込《ぶちこ》め。」
「もう。」
「そりゃ――歩《あゆ》べい。」
「もう。」
「ああ、待って。」
 お桂さんは袖を投げて一歩《ひとあし》して、
「待って下さいな。」
 と釜のふちを白い手で留めたと思うと、
「お熱々《つつ》。」
 と退《すさ》って耳を圧《おさ》えた。わきあけも、襟も、乱るる姿は、電燭《でんき》の霜に、冬牡丹《ふゆぼたん》の葉ながらくずるるようであった。

       四

「小一さん、小一さん。」
 たとえば夜の睫毛《まつげ》のような、墨絵に似た松の枝の、白張《しらはり》の提灯は――こう呼んで、さしうつむいたお桂の前髪を濃く映した。
 婀娜《あだ》にもの優しい姿は、コオトも着ないで、襟に深く、黒に紫の裏すいた襟巻をまいたまま、むくんだ小按摩の前に立って、そと差覗《さしのぞ》きながら言ったのである。
 褄《つま》が幻のもみじする、小流《こながれ》を横に、その一条《ひとすじ》の水を隔てて、今夜は分けて線香の香の芬《ぷん》と立つ、十三地蔵の塚の前には外套《がいとう》にくるまって、中折帽《なかおれぼう》を目深《まぶか》く、欣七郎が杖《ステッキ》をついて彳《たたず》んだ。
(――実は、彼等が、ここに夜泣松の下を訪れたのは、今夜これで二度めなのであった――)
 はじめに。……話の一筋が歯に挟《はさま》ったほどの事だけれど、でも、その不快について処置をしたさに、二人が揃って、祭の夜《よ》を見物かたがた、ここへ来た時は。……「何だ、あの謙斎か、按摩め。こくめいで律儀らしい癖に法螺《ほら》を吹いたな。」そこには松ばかり、地蔵ばかり、水ばかり、何の影も見えなかった。空の星も晃々《きらきら》として、二人の顔も冴々《さえざえ》と、古橋を渡りかけて、何心なく、薬研《やげん》の底のような、この横流《よこながれ》の細滝に続く谷川の方を見ると、岸から映るのではなく、川瀬に提灯が一つ映った。
 土地を知った二人が、ふとこれに心を取られて、松の方《かた》へ小戻りして、向合った崖縁に立って、谿河《たにがわ》を深く透かす
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