塚に沿った松なればこそ、夜泣松と言うのである。――昼でも泣く。――仮装した小按摩の妄念は、その枝下、十三地蔵とは、間に水車の野川が横に流れて石橋の下へ落ちて、香都良川へ流込む水筋を、一つ跨《また》いだ処に、黄昏《たそがれ》から、もう提灯を釣《つる》して、裾《すそ》も濡れそうに、ぐしゃりと踞《しゃが》んでいる。
 今度出来た、谷川に架けた新石橋は、ちょうど地蔵の斜向《すじむか》い。でその橋向うの大旅館の庭から、仮装は約束のごとく勢揃をして、温泉の町へ入ったが、――そう云ってはいかがだけれど、饑饉|年《どし》の記念だから、行列が通るのに、四角な行燈《あんどん》も肩を円くして、地蔵前を半輪《はんわ》によけつつ通った。……そのあとへ、人魂《ひとだま》が一つ離れたように、提灯の松の下、小按摩の妄念は、列の中へ加わらずに孤影|※[#「(火+火)/訊のつくり」、第4水準2−79−80]然《けいぜん》として残っている。……
 ぬしは分らない、仮装であるから。いずれ有志の一人と、仮装なかまで四五人も誘ったが、ちょっと手を引張《ひっぱ》っても、いやその手を引くのが不気味なほど、正《しょう》のものの身投げ按摩で、びくとも動かないでいる。……と言うのであった。
 ――これを云った謙斎は、しかし肝心な事を言いわすれた、あとで分ったが、誘うにも、同行を促すにも、なかまがこもごも声を掛けたのに、小按摩は、おくびほども口を利かない。「ぴい、ぷう。」舌のかわりに笛を。「ぴいぷう」とただ笛を吹いた。――

 半ば聞ずてにして、すっと袖の香とともに、花の座敷を抜けた夫人は、何よりも先にその真偽のほどを、――そんな事は遊びずきだし一番|明《あかる》い――半助に、あらためて聞こうとした。懸念に処する、これがお桂のこの場合の第一の手段であったが。……
 居ない。
「おや、居ないの。」
 一層袖口を引いて襟冷く、少しこごみ腰に障子の小間《こま》から覗くと、鉄の大火鉢ばかり、誰も見えぬ。
「まあ。」
 式台わきの横口にこう、ひょこりと出るなり、モオニングのひょろりとしたのが、とまずシルクハットを取って高慢に叩頭《おじぎ》したのは……
「あら。」
 附髯《つけひげ》をした料理番。並んで出たのは、玄関下足番の好男子で、近頃夢中になっているから思いついた、頭から顔一面、厚紙を貼って、胡粉《ごふん》で潰《つぶ》した、不断女の子を悩ませる罪滅しに、真赤《まっか》に塗った顔なりに、すなわちハアトの一《ワン》である。真赤な中へ、おどけて、舌を出しておじぎをした。
「可厭《いや》だ。……ちょいと、半助さんは。」
「あいつは、もう。」
 揃って二人ともまたおじぎをして、
「昼間っから行方知れずで。」
 と口々に云う処へ、チャンチキ、チャンチキ、どどどん、ヒューラが、直ぐそこへ。――女中の影がむらむらと帳場へ湧《わ》く、客たちもぞろぞろ出て来る。……血の道らしい年増の女中が、裾長《すそなが》にしょろしょろしつつ、トランプの顔を見て、目で嬌態《しな》をやって、眉をひそめながら肩でよれついたのと、入交《いれまじ》って、門際へどっと駈出《かけだ》す。
 夫人も、つい誘われて門《かど》へ立った。
 高張《たかはり》、弓張《ゆみはり》が門の左右へ、掛渡した酸漿提灯《ほおずきぢょうちん》も、燦《ぱっ》と光が増したのである。
 桶屋《おけや》の凧《たこ》は、もう唸《うな》って先へ飛んだろう。馬二頭が、鼻あらしを霜夜にふつふつと吹いて曳《ひ》く囃子屋台を真中《まんなか》に、磽※[#「石+角」、第3水準1−89−6]《こうかく》たる石ころ路《みち》を、坂なりに、大師|道《みち》のいろはの辻のあたりから、次第さがりに人なだれを打って来た。弁慶の長刀《なぎなた》が山鉾《やまぼこ》のように、見える、見える。御曹子《おんぞうし》は高足駄、おなじような桃太郎、義士の数が三人ばかり。五人男が七人居て、雁《かり》がねが三羽揃った。……チャンチキ、チャンチキ、ヒューラと囃《はや》して、がったり、がくり、列も、もう乱れ勝《がち》で、昼の編笠をてこ舞に早がわりの芸妓《げいしゃ》だちも、微酔《ほろよい》のいい機嫌。青い髯《ひげ》も、白い顔も、紅《べに》を塗ったのも、一斉にうたうのは鰌《どじょう》すくいの安来節《やすぎぶし》である。中にぶッぶッぶッぶッと喇叭《らっぱ》ばかり鳴すのは、――これはどこかの新聞でも見た――自動車のつくりものを、腰にはめて行《ゆ》くのである。
 時に、井菊屋はほとんど一方の町はずれにあるから、村方へこぼれた祝場《いわいば》を廻り済《すま》して、行列は、これから川向《かわむこう》の演芸館へ繰込むのの、いまちょうど退汐時《ひきしおどき》。人は一倍群ったが、向側が崖沿《がけぞい》の石垣で、用水の流《ながれ》が急激に
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