者で、続いて出たのは雁がね、飛んで来たのは弁慶で、争って騎《の》ろうとする。揉《も》みに揉んで、太刀と長刀《なぎなた》が左右へ開いて、尺八が馬上に跳返った。そのかわり横田圃《よこたんぼ》へ振落された。
 ただこのくらいな間《ま》だったが――山の根に演芸館、花見座の旗を、今日はわけて、山鳥のごとく飜した、町の角の芸妓屋《げいしゃや》の前に、先刻の囃子屋台が、大《おおき》な虫籠《むしかご》のごとくに、紅白の幕のまま、寂寞《せきばく》として据《すわ》って、踊子の影もない。はやく町中《まちなか》、一練《ひとねり》は練廻って剰《あま》す処がなかったほど、温泉の町は、さて狭いのであった。やがて、新造の石橋で列を造って、町を巡《まわ》りすました後では、揃ってこの演芸館へ練込んで、すなわち放楽の乱舞となるべき、仮装行列を待顔に、掃清《はききよ》められた状《さま》のこのあたりは、軒提灯《のきぢょうちん》のつらなった中に、かえって不断より寂しかった。
 峰の落葉が、屋根越に――
 日蔭の冷い細流《せせらぎ》を、軒に流して、ちょうどこの辻の向角《むこうかど》に、二軒並んで、赤毛氈《あかもうせん》に、よごれ蒲団《ぶとん》を継《つぎ》はぎしたような射的店《しゃてきみせ》がある。達磨《だるま》落し、バットの狙撃《そげき》はつい通りだが、二軒とも、揃って屋根裏に釣った幽霊がある。弾丸《たま》が当ると、ガタリざらざらと蛇腹に伸びて、天井から倒《さかさま》に、いずれも女の幽霊が、ぬけ上った青い額と、縹色《はなだいろ》の細い頤《あご》を、ひょろひょろ毛から突出して、背筋を中反りに蜘蛛《くも》のような手とともに、ぶらりと下る仕掛けである。
「可厭《いや》な、あいかわらずね……」
 お桂さんが引返そうとした時、歩手前《あしてまえ》の店のは、白張《しらはり》の暖簾《のれん》のような汚れた天蓋《てんがい》から、捌髪《さばきがみ》の垂れ下った中に、藍色の片頬《かたほ》に、薄目を開けて、片目で、置据えの囃子屋台を覗《のぞ》くように見ていたし、先隣《さきどなり》なのは、釣上げた古行燈《ふるあんどん》の破《やぶれ》から、穴へ入ろうとする蝮《まむし》の尾のように、かもじの尖《さき》ばかりが、ぶらぶらと下っていた。
 帰りがけには、武蔵坊《むさしぼう》も、緋縅も、雁がねも、一所に床屋の店に見た。が、雁がねの臆面《おくめん》なく白粉を塗りつつ居たのは言うまでもなかろう。
 ――小一按摩のちびな形が、現に、夜泣松の枝の下へ、仮装の一個《ひとつ》として顕《あらわ》れている――
 按摩の謙斎が、療治しつつ欣七郎に話したのは――その夜、食後の事なのであった。

       三

「半助さん、半助さん。」
 すらすらと、井菊の広い帳場の障子へ、姿を見せたのはお桂さんである。
 あの奥の、花の座敷から来た途中は――この家《や》での北国だという――雪の廊下を通った事は言うまでもない。
 カチリ……
 ハッと手を挙げて、珊瑚《さんご》の六分珠《ろくぶだま》をおさえながら、思わず膠《にかわ》についたように、足首からむずむずして、爪立ったなり小褄《こづま》を取って上げたのは、謙斎の話の舌とともに、蛞蝓《なめくじ》のあとを踏んだからで、スリッパを脱ぎ放しに釘でつけて、身ぶるいをして衝《つ》と抜いた。湯殿から蒸しかかる暖い霧も、そこで、さっと肩に消えて、池の欄干を伝う、緋鯉《ひごい》の鰭《ひれ》のこぼれかかる真白《まっしろ》な足袋はだしは、素足よりなお冷い。で……霞へ渡る反橋《そりばし》を視《み》れば、そこへ島田に結った初々しい魂が、我身を抜けて、うしろ向きに、気もそぞろに走る影がして、ソッと肩をすぼめたなりに、両袖を合せつつ呼んだのである。
「半助さん……」ここで踊屋台を視《み》た、昼の姿は、鯉を遊ばせた薄《うす》もみじのさざ波であった。いまは、その跡を慕って大鯰《おおなまず》が池から雫《しずく》をひたひたと引いて襲う気勢《けはい》がある。

 謙斎の話は、あれからなお続いて、小一の顕われた夜泣松だが、土地の名所の一つとして、絵葉書で売るのとは場所が違う。それは港街道の路傍《みちばた》の小山の上に枝ぶりの佳いのを見立てたので。――真の夜泣松は、汽車から来る客たちのこの町へ入る本道に、古い石橋の際に土をあわれに装《も》って、石地蔵が、苔蒸《こけむ》し、且つ砕けて十三体。それぞれに、樒《しきみ》、線香を手向けたのがあって、十三塚と云う……一揆《いっき》の頭目でもなし、戦死をした勇士でもない。きいても気の滅入《めい》る事は、むかし大饑饉《おおききん》の年、近郷から、湯の煙を慕って、山谷《さんこく》を這出《はいで》て来た老若男女《ろうにゃくなんにょ》の、救われずに、菜色して餓死した骨を拾い集めて葬ったので、その
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