中が襖をと思うに似ず、寂莫《せきばく》として、ただ夫人のものいうと響くのが、ぶるぶると耳について、一筋ずつ髪の毛を伝うて動いて、人事|不省《ふせい》ならんとする、瞬間に異ならず。
同時に真直《まっすぐ》に立った足許に、なめし皮の樺色《かばいろ》の靴、宿を欺くため座敷を抜けて持って入ったのが、向うむきに揃っていたので、立花は頭から悚然《ぞっ》とした。
靴が左から……ト一ツ留《とま》って、右がその後から……ト前へ越すと、左がちょい、右がちょい。
たとえば歩行の折から、爪尖《つまさき》を見た時と同じ状《さま》で、前途《ゆくて》へ進行をはじめたので、※[#「口+阿」、第4水準2−4−5]呀《あなや》と見る見る、二|間《けん》三|間《げん》。
十間、十五間、一町、半、二町、三町、彼方《かなた》に隔るのが、どうして目に映るのかと、怪《あやし》む、とあらず、歩を移すのは渠《かれ》自身、すなわち立花であった。
茫然《ぼうぜん》。
世に茫然という色があるなら、四辺《あたり》の光景は正しくそれ。月もなく、日もなく、樹もなく、草もなく、路《みち》もない、雲に似て踏みごたえがあって、雪に似て冷《つ
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