り》、お支度はって、お聞きだから、変だと思って、誰も来やしないものを。」とさも訝《いぶか》しげに、番頭の顔を熟《じっ》と見ていう。
 いよいよ、きょとつき、
「はてさて、いやどうも何でござりまして、ええ、廊下を急足《いそぎあし》にすたすたお通んなすったと申して、成程、跫音《あしおと》がしなかったなぞと、女は申しますが、それは早や、気のせいでござりましょう。なにしろ早足で廊下を通りなすったには相違ござりませぬ、さきへ立って参りました女が、せいせい呼吸《いき》を切って駈けまして、それでどうかすると、背後《うしろ》から、そのお客の身体《からだ》が、ぴったり附着《くッつ》きそうになりまする。」
 番頭は気がさしたか、密《そっ》と振返って背後《うしろ》を見た、釜《かま》の湯は沸《たぎ》っているが、塵《ちり》一つ見当らず、こういう折には、余りに広く、且つ余りに綺麗《きれい》であった。
「それがために二三度、足が留まりましたそうにござりまして。」

       八

「中にはその立花様とおっしゃるのが、剽軽《ひょうきん》な方で、一番《ひとつ》三由屋をお担ぎなさるのではないかと、申すものもござります
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