お座敷には、奥方様の他《ほか》に誰方《どなた》もおいでがないと、目を丸くして申しますので、何を寝惚《ねぼ》けおるぞ、汝《てまえ》が薄眠い顔をしておるで、お遊びなされたであろ、なぞと叱言《こごと》を申しましたが、女いいまするには、なかなか、洒落《しゃれ》を遊ばす御様子ではないと、真顔でござりますについて、ええ、何より証拠、土間を見ましてございます。」
 いいかけて番頭、片手敷居越に乗出して、
「トその時、お上《あが》りになったばかりのお穿物《はきもの》が見えませぬ、洋服でおあんなさいましたで、靴にござりますな。
 さあ、居合せましたもの総立《そうだち》になって、床下まで覗《のぞ》きましたが、どれも札をつけて預りました穿物ばかり、それらしいのもござりませぬで、希有《けう》じゃと申出しますと、いや案内に立った唯今の女は、見す見す廊下をさきへ立って参ったというて、蒼《あお》くなって震えまするわ。
 太《いこ》う恐《こわ》がりましてこちらへよう伺えぬと申しますので、手前|駈出《かけだ》して参じましたが、いえ、もし全くこちら様へは誰方もおいでなさりませぬか。」と、穏《おだやか》ならぬ気色である。

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