山田が玄関なら、それをお通り遊ばして、どうぞこちらへと、お待受けの別嬪《べっぴん》が、お袖《そで》を取るばかりにして、御案内申します、お客座敷と申しますような、お褥《しとね》を敷いて、花を活《い》けました、古市があるではござりませぬか。」
 客は薄ら寒そうに、これでもと思う状《さま》、燗《かん》の出来立《できたて》のを注《つ》いで、猪口《ちょく》を唇に齎《もた》らしたが、匂《におい》を嗅《か》いだばかりでしばらくそのまま、持つ内に冷《つめた》くなるのを、飲む真似《まね》して、重そうにとんと置き、
「そりゃ何だろう、山田からずッと入ると、遠くに二階家を見たり、目の前に茅葺《かやぶき》が顕《あらわ》れたり、そうかと思うと、足許《あしもと》に田の水が光ったりする、その田圃《たんぼ》も何となく、大《おおき》な庭の中にわざと拵《こしら》えた景色のような、なだらかな道を通り越すと、坂があって、急に両側が真赤《まっか》になる。あすこだろう、店頭《みせさき》の雪洞《ぼんぼり》やら、軒提灯《のきぢょうちん》やら、そこは通った。」

       三

「はい、あの軒ごと、家《や》ごと、向《むこう》三軒両隣と申しました工合《ぐあい》に、玉転《たまころが》し、射的だの、あなた、賭的《かけまと》がござりまして、山のように積んだ景物の数ほど、灯《あかり》が沢山|点《つ》きまして、いつも花盛りのような、賑《にぎやか》な処でござります。」
 客は火鉢に手を翳《かざ》し、
「どの店にも大きな人形を飾ってあるじゃないか、赤い裲襠《しかけ》を着た姐様《ねえさん》もあれば、向う顱巻《はちまき》をした道化もあるし、牛若もあれば、弥次郎兵衛《やじろべえ》もある。屋根へ手をかけそうな大蛸《おおだこ》が居るかと思うと、腰蓑《こしみの》で村雨《むらさめ》が隣の店に立っているか、下駄屋にまで飾ったな。皆《みんな》極彩色だね。中にあの三|間間口《げんまぐち》一杯の布袋《ほてい》が小山のような腹を据えて、仕掛けだろう、福相な柔和な目も、人形が大きいからこの皿ぐらいあるのを、ぱくりと遣《や》っちゃ、手に持った団扇《うちわ》をばさりばさり、往来を煽《あお》いで招くが、道幅の狭い処へ、道中双六《どうちゅうすごろく》で見覚えの旅の人の姿が小さいから、吹飛ばされそうです。それに、墨の法衣《ころも》の絵具が破れて、肌の斑兀《まだらはげ》の様子なんざ、余程|凄《すご》い。」
「招《まねき》も善悪《よしあし》でござりまして、姫方や小児衆《こどもしゅう》は恐《こわ》いとおっしゃって、旅籠屋《はたごや》で魘《うな》されるお方もござりますそうでござりまする。それではお気味が悪くって、さっさと通り抜けておしまいなされましたか。」
「詰《つま》らないことを。」
 客は引緊《ひきしま》った口許《くちもと》に微笑した。
「しかし、土地にも因るだろうが、奥州の原か、飛騨《ひだ》の山で見た日には、気絶をしないじゃ済むまいけれど、伊勢というだけに、何しろ、電信柱に附着《くッつ》けた、ペンキ塗《ぬり》の広告まで、土佐絵を見るような心持のする国だから、赤い唐縮緬《とうちりめん》を着た姐さんでも、京人形ぐらいには美しく見える。こっちへ来るというので道中も余所《よそ》とは違って、あの、長良川、揖斐川《いびがわ》、木曾川の、どんよりと三条《みすじ》並んだ上を、晩方通ったが、水が油のようだから、汽車の音もしないまでに、鵲《かささぎ》の橋を辷《すべ》って銀河《あまのがわ》を渡ったと思った、それからというものは、夜に入《い》ってこの伊勢路へかかるのが、何か、雲の上の国へでも入るようだったもの、どうして、あの人形に、心持を悪くしてなるものか。」
「これは、旦那様《だんなさま》お世辞の可《い》い、土地を賞《ほ》められまして何より嬉しゅうござります。で何でござりまするか、一刻も早く御参詣《ごさんけい》を遊ばそう思召《おぼしめし》で、ここらまで乗切っていらっしゃいました?」
「そういうわけでもないが、伊勢音頭を見物するつもりもなく、古市より相の山、第一名が好《い》いではないか、あいの山。」
 客は何思いけん手を頬《ほお》にあてて、片手で弱々と胸を抱《いだ》いたが、
「お婆《ばあ》さん、昔から聞馴染《ききなじみ》の、お杉お玉というのは今でもあるのか。」
「それはござりますよ。ついこの前途《さき》をたらたらと上りました、道で申せばまず峠のような処に観世物《みせもの》の小屋がけになって、やっぱり紅白粉《べにおしろい》をつけましたのが、三味線《さみせん》でお鳥目《ちょうもく》を受けるのでござります、それよりは旦那様、前方《さき》に行って御覧じゃりまし、川原に立っておりますが、三十人、五十人、橋を通行《ゆきき》のお方から、お銭《あし》の礫《つぶて》
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