奇特なことを、うっかり聞いてござる年紀《とし》ではあるまいがや、ややお婆さん。
 主は気が長いで、大方何じゃろうぞいの、地蔵様|開眼《かいげん》が済んでから、杖《つえ》を突張《つッぱ》って参らしゃます心じゃろが、お互に年紀じゃぞや。今の時世《ときよ》に、またとない結縁《けちえん》じゃに因って、半日も早うのう、その難有《ありがた》い人のお姿拝もうと思うての、やらやっと重たい腰を引立《ひった》てて出て来たことよ。」
 紅糸《べにいと》の目はまた揺れて、
「奇特にござるわや。さて、その難有《ありがた》い人は誰でござる。」
「はて、それを知らしゃらぬ。主としたものは何ということぞいの。
 このさきの浜際に、さるの、大長者《おおちょうじゃ》どのの、お別荘がござるてよ。その長者の奥様じゃわいの。」
「それが御建立なされるかよ。」
「おいの、いんにゃいの、建てさっしゃるはその奥様に違いないが、発願《ほつがん》した篤志《こころざし》の方はまた別にあるといの。
 聞かっしゃれ。
 その奥様は、世にも珍らしい、三十二相そろわしった美しい方じゃとの、膚《はだ》があたたかじゃに因って人間よ、冷たければ天女じゃ、と皆いうのじゃがの、その長者どのの後妻《うわなり》じゃ、うわなりでいさっしゃる。
 よってその長者どのとは、三十の上も年紀が違うて、男の児《こ》が一人ござって、それが今年十八じゃ。
 奥様は、それ、継母《ままはは》いの。
 気立《きだて》のやさしい、膚も心も美しい人じゃによって、継母|継児《ままこ》というようなものではなけれども、なさぬなかの事なれば、万に一つも過失《あやまち》のないように、とその十四の春ごろから、行《おこない》の正しい、学のある先生様を、内へ頼みきりにして傍《そば》へつけておかしゃった。」
 二人は正にそれなのである。

       十一

「よいかの、十四の年からこの年まで、四五六七八と五年の間、寝るにも起《おき》るにも附添うて、しんせつにお教えなすった、その先生様のたんせいというものは、一通《ひととおり》の事ではなかったとの。
 その効《かい》があってこの夏はの、そのお子がさる立派な学校へ入らっしゃるようになったに就いて、先生様は邸《やしき》を出て、自分の身体《からだ》になりたいといわっしゃる。
 それまで受けた恩があれば、お客分にして一生置き申そうということなれど、宗旨々々のお祖師様でも、行《ゆ》きたい処へ行かっしゃる。無理やりに留めますことも出来んでのう。」
「ほんにの、お婆さん。」
「今度いよいよ長者どのの邸を出さっしゃるに就いて、長い間御恩になった、そのお礼心というのじゃよ。何ぞ早や、しるしに残るものを、と言うて、黄金《こがね》か、珠玉《たま》か、と尋ねさっしゃるとの。
 その先生様、地蔵尊の一体建立して欲しいと言わされたとよ。
 そう云えば何となく、顔容《かおかたち》も柔和での、石の地蔵尊に似てござるお人じゃそうなげな。」
 先生は面《おもて》を背けて、笑《えみ》を含んで、思わずその口のあたりを擦《こす》ったのである。
「それは奇特じゃ、小児衆《こどもしゅ》の世話を願うに、地蔵様に似さしった人は、結構にござることよ。」
「さればその事よ。まだ四十にもならっしゃらぬが、慾《よく》も徳も悟ったお方じゃ。何事があっても莞爾々々《にこにこ》とさっせえて、ついぞ、腹立たしったり、悲しがらしった事はないけに、何としてそのように難有《ありがた》い気になられたぞ、と尋ねるものがあるわいの。
 先生様が言わっしゃるには、伝もない、教《おしえ》もない。私《わし》はどうした結縁《けちえん》か、その顔色《かおつき》から容子《ようす》から、野中にぼんやり立たしましたお姿なり、心から地蔵様が気に入って、明暮《あけくれ》、地蔵、地蔵と念ずる。
 痛い時、辛い時、口惜《くちおし》い時、怨《うら》めしい時、情《なさけ》ない時と、事どもが、まああってもよ。待てな、待てな、さてこうした時に、地蔵菩薩《じぞうぼさつ》なら何となさる、と考えれば胸も開いて、気が安らかになることじゃ、と申されたげな。お婆さん、何と奇特な事ではないかの。」
「御奇特でござるのう。」
「じゃでの、何の心願というでもないが、何かしるしをといわるるで思いついた、お地蔵一体建立をといわっしゃる。
 折から夏休みにの、お邸中《やしきじゅう》が浜の別荘へ来てじゃに就いて、その先生様も見えられたが、この川添《かわぞい》の小橋の際《きわ》のの、蘆《あし》の中へ立てさっしゃる事になって、今日はや奥さまがの、この切通しの崖《がけ》を越えて、二つ目の浜の石屋が方《かた》へ行《ゆ》かれたげじゃ。
 のう、先生様は先生様、また難有《ありがた》いお方として、浄財《おたから》を喜捨なされます、その奥様の事いの。
 少《わか》い身そらに、御奇特な、たとえ御自分の心からではないとして、その先生様の思召《おぼしめし》に嬉し喜んで従わせえましたのが、はや菩薩の御弟子《みでし》でましますぞいの。
 七歳の竜女とやらじゃ。
 結縁《けちえん》しょう。年をとると気忙《きぜわ》しゅうて、片時もこうしてはおられぬわいの、はやくその美しいお姿を拝もうと思うての。それで、はい、お婆さん、えッちらえッちら出て来たのじゃ。」
「おう、されば、これから二つ目へおざるかや。」
「さればいの、行くわいの。」
「ござれござれ。私《わし》も店をかたづけたら、路ばたへ出て、その奥様の、帰らしゃますお顔を拝もうぞいの。」
 赤目の嫗《おうな》は自から深く打頷《うちうなず》いた。

       十二

 時に色の青い銀の目の嫗《おうな》は、対手《あいて》の頤《おとがい》につれて、片がりながら、さそわれたように頷《うなず》いたが、肩を曲げたなり手を腰に組んだまま、足をやや横ざまに左へ向けた。
「帰途《かえり》のほどは宵月《よいづき》じゃ、ちらりとしたらお姿を見はずすまいぞや。かぶりものの中、気をつけさっしゃれ。お方くらい、美しい、紅《べに》のついた唇は少ないとの。薄化粧に変りはのうても、膚《はだ》の白いがその人じゃ、浜方じゃで紛《まぎ》れはないぞの、可《よ》いか、お婆さん、そんなら私《わし》は行くわいの。」
「茶一つ参らぬか、まあ可《い》いで。」
「預けましょ。」
「これは麁末《そまつ》なや。」
「お雑作でござりました。」
 と斉《ひと》しく前へ傾きながら、腰に手を据えて、てくてくと片足ずつ、右を左へ、左を右へ、一ツずつ蹈《ふ》んで五足《いつあし》六足《むあし》。
「ああ、これな、これな。」
 と廂《ひさし》の夕日に手を上げて、たそがれかかる姿を呼べば、蘆《あし》を裾《すそ》なる背影《うしろかげ》。
「おい、」とのみ、見も返らず、ハタと留まって、打傾いた、耳をそのまま言《ことば》を待つ。
「主《ぬし》、今のことをの、坂下の姉《あね》さまにも知らしてやらしゃれ、さだめし、あの児《こ》も拝みたかろ。」
 聞きつけて、件《くだん》の嫗、ぶるぶると頭《かぶり》を掉《ふ》った。
「むんにゃよ、年紀《とし》が上だけに、姉《あね》さまは御生《ごしょう》のことは抜からぬぞの。八丈ヶ島に鐘が鳴っても、うとい耳に聞く人じゃ。それに二つ目へ行かっしゃるに、奥様は通り路。もう先刻《さっき》に拝んだじゃろうが、念のためじゃ立寄りましょ。ああ、それよりかお婆さん、」
 と片頬《かたほ》を青く捻《ね》じ向けた、鼻筋に一つの目が、じろりと此方《こなた》を見て光った。
「主《ぬし》、数珠《じゅず》を忘れまいぞ。」
「おう、可《よ》いともの、お婆さん、主、その※[#「魚+覃」、第3水準1−94−50]《えい》の針を落さっしゃるな。」
「御念には及ばぬわいの。はい、」
 と言って、それなり前途《むこう》へ、蘆を分ければ、廂《ひさし》を離れて、一人は店を引込《ひっこ》んだ。磯《いそ》の風|一時《ひとしきり》、行《ゆ》くものを送って吹いて、颯《さっ》と返って、小屋をめぐって、ざわざわと鳴って、寂然《ひっそり》した。
 吻々吻《ほほほ》と花やかな、笑い声、浜のあたりに遥《はるか》に聞ゆ。
 時に一碗の茶を未《いま》だ飲干さなかった、先生はツト心着いて、いぶかしげな目で、まず、傍《かたわら》なる少年の並んで坐った背《せな》を見て、また四辺《あたり》を※[#「目+句」、第4水準2−81−91]《みまわ》したが、月夜の、夕日に返ったような思いがした。
 嫗《おうな》の言《ことば》が渠《かれ》を魅したか、その蘆の葉が伸びて、山の腰を蔽《おお》う時、水底《みなそこ》を船が漕《こ》いで、岡沙魚《おかはぜ》というもの土に跳ね、豆蟹《まめがに》の穂末《ほずえ》に月を見る状《さま》を、目《ま》のあたりに目に浮べて、秋の夜の月の趣に、いつか心の取られた耳へ、蘆の根の泡立つ音、葉末を風の戦《そよ》ぐ声、あたかも天地《あめつち》の呟《つぶや》き囁《ささや》くがごとく、我が身の上を語るのを、ただ夢のように聞きながら、顔の地蔵に似たなどは、おかしと現《うつつ》にも思ったが、いつごろ、どの時分、もう一人の嫗《おうな》が来て、いつその姿が見えなくなったか、定かには覚えなかった。たとえば、そよそよと吹く風の、いつ来て、いつ歇《や》んだかを覚えぬがごとく、夕日の色の、何の機《とき》に我が袖《そで》を、山陰へ外れたかを語らぬごとく。
 さればその間、およそ、時のいかばかりを過ぎたかを弁《わきま》えず、月夜とばかり思ったのも、明るく晴れた今日である。いつの程にか、継棹《つぎざお》も少年の手に畳まれて、袋に入って、紐までちゃんと結《ゆわ》えてあった。
 声をかけて見ようと思う、嫗は小屋で暗いから、他《ほか》の一人はそこへと見|遣《や》るに、誰《たれ》も無し、月を肩なる、山の裾、蘆を※[#「ころもへん+因」、第4水準2−88−18]《しとね》の寝姿のみ。
「賢、」
 と呼んだ、我ながら雉子《きじ》のように聞えたので、呟《せきばらい》して、もう一度、
「賢君、」
「は、」
 と快活に返事する。
「今の婆さんは幾歳《いくつ》ぐらいに見えました。」
「この茶店のですか。」
「いや、もう一人、……ここへ来た年寄が居たでしょう。」
「いいえ。」

       十三

「あれえ! ああ、あ、ああ……」
 恐《こわ》かった、胸が躍って、圧《おさ》えた乳房重いよう、忌《いま》わしい夢から覚めた。――浦子は、独り蚊帳《かや》の裡《うち》。身の戦《わなな》くのがまだ留《や》まねば、腕を組違えにしっかと両の肩を抱いた、腋《わき》の下から脈を打って、垂々《たらたら》と冷《つめた》い汗。
 さてもその夜《よ》は暑かりしや、夢の恐怖《おそれ》に悶《もだ》えしや、紅裏《もみうら》の絹の掻巻《かいまき》、鳩尾《みずおち》を辷《すべ》り退《の》いて、寝衣《ねまき》の衣紋《えもん》崩れたる、雪の膚《はだえ》に蚊帳の色、残燈《ありあけ》の灯に青く染まって、枕《まくら》に乱れた鬢《びん》の毛も、寝汗にしとど濡れたれば、襟白粉《えりおしろい》も水の薫《かおり》、身はただ、今しも藻屑《もくず》の中を浮び出でたかの思《おもい》がする。
 まだ身体《からだ》がふらふらして、床の途中にあるような。これは寝た時に今も変らぬ、別に怪しい事ではない。二つ目の浜の石屋が方《かた》へ、暮方仏像をあつらえに往《い》った帰りを、厭《いや》な、不気味な、忌わしい、婆《ばば》のあらもの屋の前が通りたくなさに、ちょうど満潮《みちしお》を漕《こ》げたから、海松布《みるめ》の流れる岩の上を、船で帰って来たせいであろう。艪《ろ》を漕いだのは銑さんであった、夢を漕いだのもやっぱり銑さん。
 その時は折悪《おりあし》く、釣船も遊山船《ゆさんぶね》も出払って、船頭たちも、漁、地曳《じびき》で急がしいから、と石屋の親方が浜へ出て、小船を一|艘《そう》借りてくれて、岸を漕いでおいでなさい、山から風が吹けば、畳を歩行《ある》くより確《たしか》なもの、船をひっくりかえそうたって、海が合点《がってん》
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