もとより誰も居ない。
閨《ねや》と並んで、庭を前に三間続きの、その一室《ひとま》を隔てた八畳に、銑太郎と、賢之助が一つ蚊帳。
そこから別に裏庭へ突き出でた角座敷の六畳に、先生が寝ている筈《はず》。
その方《ほう》にも厠《かわや》はあるが、運ぶのに、ちと遠い。
件《くだん》の次の明室《あきま》を越すと、取着《とッつき》が板戸になって、その台所を越した処に、松という仲働《なかばたらき》、お三と、もう一人女中が三人。
婦人《おんな》ばかりでたよりにはならぬが、近い上に心安い。
それにちと間はあるが、そこから一目の表門の直ぐ内に、長屋だちが一軒あって、抱え車夫が住んでいて、かく旦那《だんな》が留守の折からには、あけ方まで格子戸から灯《あかり》がさして、四五人で、ひそめくもの音。ひしひしと花ふだの響《ひびき》がするのを、保養の場所と大目に見ても、好《い》いこととは思わなかったが、時にこそよれ頼母《たのも》しい。さらばと、やがて廊下づたい、踵《かかと》の音して、するすると、裳《もすそ》の気勢《けはい》の聞ゆるのも、我ながら寂しい中に、夢から覚めたしるしぞ、と心嬉しく、明室《あきま》の前
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