方《こなた》へ曳《ひ》いて圧《おさ》えたその袖に、と見ると怪しい針があった。
蘆の中に、色の白い痩《や》せた嫗《おうな》、高家《こうけ》の後室ともあろう、品の可《い》い、目の赤いのが、朦朧《もうろう》と踞《しゃが》んだ手から、蜘蛛《くも》の囲《い》かと見る糸|一条《ひとすじ》。
身悶《みもだ》えして引切《ひっき》ると、袖は針を外れたが、さらさらと髪が揺れ乱れた。
その黒髪の船に垂れたのが、逆《さかさ》に上へ、ひょろひょろと頬《ほお》を掠《かす》めると思うと――(今もおくれ毛が枕に乱れて)――身体《からだ》が宙に浮くのであった。
「ああ!」
船の我身は幻で、杭に黒髪の搦みながら、溺《おぼ》れていたのが自分であろうか。
また恐しい嫗の手に、怪しい針に釣り上げられて、この汗、その水、この枕、その夢の船、この身体、四角な室《へや》も穴めいて、膚《はだえ》の色も水の底、おされて呼吸《いき》の苦しげなるは、早や墳墓《おくつき》の中にこそ。呵呀《あなや》、この髪が、と思うに堪えず、我知らず、ハッと起きた。
枕を前に、飜った掻巻《かいまき》を背《せな》の力に、堅いもののごとく腕《かいな》を
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