感じがするで。
それに咽喉《のど》も乾いた、茶を一つ飲みましょう。まず休んで、」
と三足《みあし》ばかり、路を横へ、茶店の前の、一間ばかり蘆が左右へ分れていた、根が白く濡地《ぬれち》が透いて見えて、ぶくぶくと蟹《かに》の穴、うたかたのあわれを吹いて、茜《あかね》がさして、日は未《いま》だ高いが虫の声、艪《ろ》を漕《こ》ぐように、ギイ、ギッチョッ、チョ。
「さあ、お掛け。」
と少年を、自分の床几《しょうぎ》の傍《わき》に居《お》らせて、先生は乾くと言った、その唇を撫《な》でながら、
「茶を一つ下さらんか。」
暗い中から白い服装《なり》、麻の葉いろの巻つけ帯で、草履の音、ひた――ひた、と客を見て早や用意をしたか、蟋蟀《きりぎりす》の噛《かじ》った塗盆《ぬりぼん》に、朝顔茶碗の亀裂《ひび》だらけ、茶渋で錆《さ》びたのを二つのせて、
「あがりまし、」
と据えて出し、腰を屈《かが》めた嫗《おうな》を見よ。一筋ごとに美しく櫛《くし》の歯を入れたように、毛筋が透《とお》って、生際《はえぎわ》の揃った、柔かな、茶にやや褐《かば》を帯びた髪の色。黒き毛、白髪《しらが》の塵《ちり》ばかりをも交《まじ》えぬを、切髪《きりかみ》にプツリと下げた、色の白い、艶《つや》のある、細面《ほそおもて》の頤《おとがい》尖《とが》って、鼻筋の衝《つ》と通った、どこかに気高い処のある、年紀《とし》は誰《た》が目も同一《おなじ》……である。
九
「渺々乎《びょうびょうこ》として、蘆《あし》じゃ。お婆さん、好《いい》景色だね。二三度来て見た処ぢゃけれど、この店の工合が可《い》いせいか、今日は格別に広く感じる。
この海の他《ほか》に、またこんな海があろうとは思えんくらいじゃ。」
と頷《うなず》くように茶を一口。茶碗にかかるほど、襯衣《しゃつ》の袖の膨《ふく》らかなので、掻抱《かいいだ》く体《てい》に茶碗を持って。
少年はうしろ向《むき》に、山を視《なが》めて、おつきあいという顔色《かおつき》。先生の影二尺を隔てず、窮屈そうにただもじもじ。
嫗《おうな》は威儀正しく、膝《ひざ》のあたりまで手を垂れて、
「はい、申されまする通り、世がまだ開けませぬ泥沼の時のような蘆原《あしはら》でござるわや。
この川沿《かわぞい》は、どこもかしこも、蘆が生えてあるなれど、私《わし》が小家《こいえ》のまわりには、また多《いこ》う茂ってござる。
秋にもなって見やしゃりませ。丈が高う、穂が伸びて、小屋は屋根に包まれる、山の懐も隠れるけに、月も葉の中から出《で》さされて、蟹《かに》が茎へ上《あが》っての、岡沙魚《おかはぜ》というものが根の処で跳ねるわや、漕《こ》いで入る船の艪櫂《ろかい》の音も、水の底に陰気に聞えて、寂しくなるがの。その時稲が実るでござって、お日和《ひより》じゃ、今年は、作も豊年そうにござります。
もう、このように老い朽ちて、あとを頂く御菩薩《ごぼさつ》の粒も、五つ七つと、算《かぞ》えるようになったれども、生《しょう》あるものは浅間《あさま》しゅうての、蘆の茂るを見るにつけても、稲の太るが嬉しゅうてなりませぬ、はい、はい。」
と細いが聞くものの耳に響く、透《とお》る声で言いながら、どこをどうしたら笑えよう、辛き浮世の汐風《しおかぜ》に、冷《つめた》く大理石になったような、その仏造った顔に、寂しげに莞爾《にっこり》笑った。鉄漿《かね》を含んだ歯が揃って、貝のように美しい。それとなお目についたは、顔の色の白いのに、その眠ったような繊《ほそ》い目の、紅《くれない》の糸、と見るばかり、赤く線を引いていたのである。
「成程、はあ、いかにも、」
と言ったばかり、嫗の言《ことば》は、この景に対するものをして、約半時の間、未来の秋を想像せしむるに余りあって、先生は手なる茶碗を下にも措《お》かず、しばらく蘆を見て、やがてその穂の人の丈よりも高かるべきを思い、白泡のずぶずぶと、濡土《ぬれつち》に呟《つぶや》く蟹の、やがてさらさらと穂に攀《よ》じて、鋏《はさみ》に月を招くやなど、茫然《ぼうぜん》として視《なが》めたのであった。
蘆の中に路があって、さらさらと葉ずれの音、葦簀《よしず》の外へまた一人、黒い衣《きもの》の嫗が出て来た。
茶色の帯を前結び、肩の幅広く、身もやや肥えて、髪はまだ黒かったが、薄さは条《すじ》を揃えたばかり。生際《はえぎわ》が抜け上って頭《つむり》の半ばから引詰《ひッつ》めた、ぼんのくどにて小さなおばこに、櫂《かい》の形の笄《こうがい》さした、片頬《かたほ》痩《や》せて、片頬《かたほ》肥《ふと》く、目も鼻も口も頤《あご》も、いびつ形《なり》に曲《ゆが》んだが、肩も横に、胸も横に、腰骨のあたりも横に、だるそうに手を組んだ、これで釣合いを取
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