いから、包を破いて、自分で一つだけ取って、ああ、厄落し、と出よう、とすると、しっかりこの、」
 と片手を下に、袖《そで》をかさねた袂《たもと》を揺《ゆす》ったが、気味悪そうに、胸をかわして密《そっ》と払い、
「袂をつかまえたのに、引張られて動けないじゃありませんか。」
「かさねがさね、成程、はあ、それから、」

       五

「私ゃ、銑さん、どうしようかと思ったんです。
 何にも云わないで、ぐんぐん引張って、かぶりを掉《ふ》るから、大方、剰銭《つり》を寄越《よこ》そうというんでしょうと思って、留りますとね。
 やッと安心したように手を放して、それから向う向きになって、緡《さし》から穴のあいたのを一つ一つ。
 それがまたしばらくなの。
 私の手を引張るようにして、掌《てのひら》へ呉《く》れました。
 ひやりとしたけれど、そればかりなら可《よ》かったのに。
(御新姐様《ごしんぞさま》や)」
 と浦子の声、異様に震えて聞えたので、
「ええ、その婆《ばば》が、」
「あれ、銑さん、聞えますよ。」と、一歩《ひとあし》いそがわしく、ぴったり寄添う。
「その婆が、云ったんですか。」
 夫人はまた吐息をついた。
「婆《ばあ》さんがね、ああ。」
(御新姐様や、御身《おみ》ア、すいたらしい人じゃでの、安く、なかまの値で進ぜるぞい。)ッて、皺枯《しわが》れた声でそう云うとね、ぶんと頭へ響いたんです。
 そして、すいたらしいッてね、私の手首を熟《じっ》と握って、真黄色《まっきいろ》な、平《ひらっ》たい、小さな顔を振上げて、じろじろと見詰めたの。
 その握った手の冷たい事ッたら、まるで氷のようじゃありませんか。そして目がね、黄金目《きんめ》なんです。
 光ったわ! 貴郎《あなた》。
 キラキラと、その凄《すご》かった事。」
 とばかりで重そうな頭《つむり》を上げて、俄《にわ》かに黒雲や起ると思う、憂慮《きづか》わしげに仰いで視《なが》めた。空ざまに目も恍惚《うっとり》、紐《ひも》を結《ゆわ》えた頤《おとがい》の震うが見えたり。
「心持でしょう。」
「いいえ、じろりと見られた時は、その目の光で私の顔が黄色になったかと思うくらいでしたよ。灯《あかり》に近いと、赤くほてるような気がするのと同一《おんなじ》に。
 もう私、二条《ふたすじ》針を刺されたように、背中の両方から悚然《ぞっ》として、足もふらふらになりました。
 夢中で二三|間《げん》駈《か》け出すとね、ちゃらんと音がしたので、またハッと思いましたよ。お銭《あし》を落したのが先方《さき》へ聞えやしまいかと思って。
 何でも一大事のように返した剰銭《つり》なんですもの、落したのを知っては追っかけて来かねやしません。銑さん、まあ、何てこッてしょう、どうした婆さんでしょうねえ。」
 されば叔母上の宣《のたま》うごとし。年紀《とし》七十《ななそじ》あまりの、髪の真白《まっしろ》な、顔の扁《ひらた》い、年紀の割に皺《しわ》の少い、色の黄な、耳の遠い、身体《からだ》の臭《にお》う、骨の軟かそうな、挙動《ふるまい》のくなくなした、なおその言《ことば》に従えば、金色《こんじき》に目の光る嫗《おうな》とより、銑太郎は他に答うる術《すべ》を知らなかった。
 ただその、早附木《マッチ》一つ買い取るのに、半時ばかり経《た》った仔細《しさい》が知れて、疑《うたがい》はさらりとなくなったばかりであるから、気の毒らしい、と自分で思うほど一向な暢気《のんき》。
「早附木は? 叔母さん。」と魅せられたものの背中を一つ、トンと打つようなのを唐突《だしぬけ》に言った。
「ああ、そうでした。」
 と心着くと、これを嫗に握られた、買物を持った右の手は、まだ左の袂《たもと》の下に包んだままで、撫肩《なでがた》の裄《ゆき》をなぞえに、浴衣の筋も水に濡れたかと、ひたひたとしおれて、片袖しるく、悚然《ぞっ》としたのがそのままである。大事なことを見るがごとく、密《そっ》とはずすと、銑太郎も覗《のぞ》くように目を注いだ。
「おや!」
「…………」

       六

 黒の唐繻子《とうじゅす》と、薄鼠《うすねずみ》に納戸がかった絹ちぢみに宝づくしの絞《しぼり》の入った、腹合せの帯を漏れた、水紅色《ときいろ》の扱帯《しごき》にのせて、美しき手は芙蓉《ふよう》の花片《はなびら》、風もさそわず無事であったが、キラリと輝いた指環《ゆびわ》の他《ほか》に、早附木《マッチ》らしいものの形も無い。
 視詰《みつ》めて、夫人は、
「…………」ものも得《え》いわぬのである。
「ああ、剰銭《つり》と一所に遺失《おと》したんだ。叔母さんどの辺?」
 と気早《きばや》に向き返って行《ゆ》こうとする。
「お待ちなさいよ。」
 と遮って上げた手の、仔細《しさい》なく動いたのを、
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