るも、決して見出すこと能はざるに至るや必《ひつ》せり。然れども斯の如きは社会に秩序ありて敢《あへ》て許さず。
 あゝ/\結婚を以て愛の大成したるものとなすは、大《おほい》なるあやまりなるかな。世人結婚を欲することなくして、愛を欲せむか、吾人は嫦娥《じやうが》を愛することを得《う》、嫦娥は吾人を愛することを得、何人《なんぴと》が何人を愛するも妨げなし、害なし、はた乱もなし。匈奴《きようど》にして昭君《せうくん》を愛するも、昭君|豈《あに》馬に乗るの怨《うらみ》あらむや。其《その》愀然《しうぜん》として胡国《ここく》に嫁《とつ》ぎたるもの、匈奴が婚を強《し》ひたるに外《ほか》ならず。然も婚姻に因りて愛を得むと欲するは、何《なん》ぞ、水中の月を捉《とら》へむとする猿猴《ゑんこう》の愚と大《おほい》に異なるあらむや。或《あるひ》は婚姻を以て相互の愛を有形にたしかむる証拠とせむか。其愛の薄弱なる論ずるに足らず。憚《はゞか》りなく直言すれば、婚姻は蓋《けだ》し愛を拷問して我に従はしめむとする、卑怯《ひけふ》なる手段のみ。それ然り、然れどもこはただ婚姻の裏面をいふもの、其表面に至りては吾人が国家を造るべき分子なり。親に対する孝道なり。家に対する責任なり。朋友に対する礼儀なり。親属にたいする交誼《かうぎ》なり。総括すれば社会に対する義務なり。然も我に於て寸毫《すんがう》の益する処あらず。婚姻何ぞ其人のために喜ぶべけむや。祝すべけむや。めでたからむや。しかも媒《なかうど》はいふめでたしと、舅姑はいふめでたしと、親類はいふめでたしと、朋友はいふめでたしと、そも何の意ぞ。他なし、社会のために祝するなり。
 古来|我国《わがくに》の婚礼は、愛のためにせずして社会のためにす。奉儒《ほうじゆ》の国は子孫なからざるべからずと命ずるに因れり。もしそれ愛によりて起る処の婚姻ならむか、舅姑なにかある、小姑何かある、凡《すべ》ての関係者何かある、そも/\社会は何かある。然るに、社会に対する義務の為《ため》に止《や》むを得ずして結婚をなす、舅姑は依然として舅姑たり、関係者、皆依然として渠を窮せしむ。人の親の、其児《そのこ》に教ふるに愛を以てせずして漫《みだり》に恭謙、貞淑、温柔をのみこれこととするは何ぞや。既にいふ、愛は「無我」なりと。我なきもの誰《たれ》か人倫を乱らむや。しかも婚姻を以て人生の大礼なりと
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