他人に因りて左右せられ、是非せられ、猶《なほ》且《か》つ支配さるゝものたり。但《たゞ》愛のためには必ずしも我といふ一種勝手次第なる観念の起るものにあらず、完全なる愛は「無我」のまたの名なり。故《ゆゑ》に愛のためにせむか、他に与へらるゝものは、難といへども、苦といへども、喜んで、甘《あまん》じて、これを享《う》く。元来不幸といひ、窮苦といひ、艱難辛苦《かんなんしんく》といふもの、皆我を我としたる我を以《もつ》て、他に――社会に――対するより起る処の怨言《ゑんげん》のみ。愛によりて我なかりせば、いづくんぞそれ苦楽あらむや。
情死、駈落《かけおち》、勘当《かんだう》等、これ皆愛の分弁たり。すなはち其人のために喜び、其人のために祝して、これをめでたしといはむも可なり。但社会のためには歎ずべきのみ。独《ひと》り婚礼に至りては、儀式上、文字上《もんじじやう》、別に何等の愛ありて存するにあらず。唯《たゞ》男女相会して、粛然と杯《さかづき》を巡《めぐ》らすに過ぎず。人の未《いま》だ結婚せざるや、愛は自由なり。諺《ことわざ》に曰く「恋に上下の隔《へだて》なし」と。然り、何人《なんぴと》が何人に恋するも、誰《たれ》かこれを非なりとせむ。一旦結婚したる婦人はこれ婦人といふものにあらずして、寧《むし》ろ妻といへる一種女性の人間なり。吾人《ごじん》は渠《かれ》を愛すること能《あた》はず、否《いな》愛すること能はざるにあらず、社会がこれを許さざるなり。愛することを得ざらしむるなり。要するに社会の婚姻は、愛を束縛して、圧制して、自由を剥奪《はくだつ》せむがために造られたる、残絶、酷絶の刑法なりとす。
古来いふ佳人は薄命なり、と、蓋《けだ》し社会が渠をして薄命ならしむるのみ。婚姻てふものだになかりせば、何人《なんら》の佳人か薄命なるべき。愛に於ける一切の、葛藤《かつとう》、紛紜《ふんうん》、失望、自殺、疾病《しつぺい》等あらゆる恐るべき熟字は皆婚姻のあるに因りて生ずる処の結果ならずや。
妻なく、夫なく、一般の男女は皆たゞ男女なりと仮定せよ。愛に対する道徳の罪人は那辺《なへん》にか出来《いできた》らむ、女子は情《じやう》のために其夫を毒殺するの要なきなり。男子は愛のために密通することを要せざるなり。否、たゞに要せざるのみならず、爾《しか》き不快なる文字《もんじ》はこれを愛の字典の何ペエジに求む
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