、昼飯《ひる》の膳《ぜん》に、一銚子《ひとちょうし》添えさせるのを言忘れたのに心づいて、そこで起上《たちあが》った。
どこを探しても呼鈴《よびりん》が見当らない。
二三度手を敲《たた》いてみたが――これは初めから成算がなかった。勝手が大分《だいぶ》に遠い。座敷の口へ出て、敲いて、敲きながら廊下をまた一段下りた。
「これは驚いた。」
更に応ずるものがなかったのである。
一体、山代の温泉のこの近江屋は、大まかで、もの事おっとりして、いま式に余り商売にあせらない旅館だと聞いて、甚だ嬉しくて来たのであるが、これでは余り大まか過ぎる。
何か、茸《きのこ》に酔った坊さんが、山奥から里へ迷出たといった形で、手をたたき、たたき、例の玄関の処へ出て、これなら聞えようと、また手を敲こうとする足許《あしもと》へ、衝立《ついたて》の陰から、ちょろりと出たのは、今しがた乳母どのにおぶわれていた男の児で、人なつッこく顔を見て莞爾々々《にこにこ》する。
どうも、この鼻尖《はなさき》で、ポンポンは穏《おだやか》でない。
仕方なしに、笑って見せて、悄々《すごすご》と座敷へ戻って、
「あきらめろ。」
で、
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