移る。……と送って出しなの、肩を叩こうとして、のびた腰に、ポンと土間に反った新しい仕込みの鯔《ぼら》と、比目魚《ひらめ》のあるのを、うっかり跨《また》いで、怯《おび》えたような脛《はぎ》白く、莞爾《にっこり》とした女が見える。
「くそったれめ。」
 見え透いた。が、外套が外へ出た、あとを、しめざまに細《ほっそ》りと見送る処を、外套が振返って、頬ずりをしようとすると、あれ人が見る、島田を揺《ふ》って、おくれ毛とともに背いたけれども、弱々となって顔を寄せた。
 これを見た治兵衛はどうする。血は火のごとく鱗《うろこ》を立てて、逆《さかさま》に尖《とが》って燃えた。
 途端に小春の姿はかくれた。
 あとの大戸を、金の額ぶちのように背負《しょ》って、揚々として大得意の体《てい》で、紅閨《こうけい》のあとを一散歩、贅《ぜい》を遣《や》る黒外套が、悠然と、柳を眺め、池を覗《のぞ》き、火の見を仰いで、移香《うつりが》を惜気《おしげ》なく、酔《えい》ざましに、月の景色を見る状《さま》の、その行く処には、返咲《かえりざき》の、桜が咲き、柑子《こうじ》も色づく。……他《よそ》の旅館の庭の前、垣根などをぶらつ
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