きつつ、やがて総湯の前に近づいて、いま店をひらきかけて、屋台に鍋《なべ》をかけようとする、夜《よ》なしの饂飩屋《うどんや》の前に来た。
 獺橋《かわうそばし》の婆さんと土地で呼ぶ、――この婆さんが店を出すのでは……もう、十二時を過ぎたのである。
 犬ほどの蜥蜴《とかげ》が、修羅を燃《もや》して、煙のように颯《さっ》と襲った。
「おどれめ。」
 と呻《うめ》くが疾《はや》いか、治兵衛坊主が、その外套の背後《うしろ》から、ナイフを鋭く、つかをせめてグサと刺した。
「うーむ。」と言うと、ドンと倒れる。
 獺橋の婆さんが、まだ火のない屋台から、顔を出してニヤリとした。串戯《じょうだん》だと思ったろう。
「北国一だ――」
 と高く叫ぶと、その外套の袖が煽《あお》って、紅《あか》い裾が、はらはらと乱れたのである。

       九

 ――「小春さん、先刻《さっき》の、あの可愛い雛妓《おしゃく》と、盲目《めくら》の爺《とっ》さんたちをここへお呼び。で、お前さんが主人になって、皆《みんな》で湯へ入って、御馳走を食べて、互に慰めもし、また、慰められもするが可《い》い。
 治兵衛坊主は、お前さんの親た
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