抱いた。その押つぶしたような帽子の中の男の顔を、熟《じっ》とすかして――そう言った。
「お門《かど》が違うやろね、早う小春さんのとこへ行く事や。」と、格子の方へくるりと背く。
紙屋は黙って、ふいと離れて、すぐ軒ならびの隣家《となり》の柱へ、腕で目をおさえるように、帽子ぐるみ附着《くッつ》いた。
何の真似やら、おなじような、あたまから羽織を引《ひっ》かぶった若い衆《しゅ》が、溝を伝うて、二人、三人、胡乱々々《うろうろ》する。
この時であった。
夜《よ》も既に、十一時すぎ、子《ね》の刻か。――柳を中に真向いなる、門《かど》も鎖《とざ》し、戸を閉めて、屋根も、軒も、霧の上に、苫掛《とまか》けた大船のごとく静まって、梟《ふくろ》が演戯をする、板歌舞伎の趣した、近江屋の台所口の板戸が、からからからと響いて、軽く辷《すべ》ると、帳場が見えて、勝手は明《あかる》い――そこへ、真黒《まっくろ》な外套《がいとう》があらわれた。
背後《うしろ》について、長襦袢《ながじゅばん》するすると、伊達巻《だてまき》ばかりに羽織という、しどけない寝乱れ姿で、しかも湯上りの化粧の香が、月に脈うって、ぽっと霧へ
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