かい》の隣家《となり》の塀から入ったな。争われぬもんだってば。……入った処から出て行くだからな。壁を摺《ず》って、窓を這《は》って、あれ板塀にひッついた、とかげ野郎。」
小春は花のいきするように、ただ教授の背後《うしろ》から、帯に縋って、さめざめと泣いていた。
八
ここの湯の廓《くるわ》は柳がいい。分けて今宵は月夜である。五株、六株、七株、すらすらと立ち長く靡《なび》いて、しっとりと、見附《みつけ》を繞《めぐ》って向合う湯宿が、皆この葉越《はごし》に窺《うかが》われる。どれも赤い柱、白い壁が、十五|間《けん》間口、十間間口、八間間口、大きな(舎)という字をさながらに、湯煙《ゆけむり》の薄い胡粉《ごふん》でぼかして、月影に浮いていて、甍《いらか》の露も紫に凝るばかり、中空に冴《さ》えた月ながら、気の暖かさに朧《おぼろ》である。そして裏に立つ山に湧《わ》き、処々に透く細い町に霧が流れて、電燈の蒼《あお》い砂子《すなご》を鏤《ちりば》めた景色は、広重《ひろしげ》がピラミッドの夢を描いたようである。
柳のもとには、二つ三つ用心|水《みず》の、石で亀甲《きっこう》に囲った
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