った、客の脱すてを掛けた衣桁《いこう》の下《もと》に、何をしていたか、つぐんでいて、道陸神《どうろくじん》のような影を、ふらふらと動かして、ぬいと出たものがあった。あれと言った小春と、ぎょっとした教授に「北国一。」と浴《あび》せ掛けて、またたく間に廊下をすっ飛んで行ったのは、あのお光であったが。
 直《すぐ》に小春が、客の意を得て、例の卓上電話で、二人の膳を帳場に通すと、今度註文をうけに出たのは、以前の、歯を染めた寂しい婦《おんな》で、しょんぼりと起居《たちい》をするのが、何だか、産女鳥《うぶめ》のように見えたほど、――時間はさまでにもなかったが、わけてこの座敷は陰気だった。
 頼もしいほど、陽気に賑《にぎや》かなのは、廂《ひさし》はずれに欄干の見える、崖の上の張出しの座敷で、客も大勢らしい、四五人の、芸妓の、いろいろな声に、客のがまじって、唄う、弾く、踊っていた。
 船の舳《みよし》の出たように、もう一座敷|重《かさな》って、そこにも三味線《さみせん》の音がしたが、時々|哄《どっ》と笑う声は、天狗《てんぐ》が谺《こだま》を返すように、崖下の庭は暮れるものを、いつまでも電燈がつかない。
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