って、拗《す》ねたように、
「要らねえよ。――私《うち》こんなもの。……旦那さん。――旅行《たび》さきで無駄な銭を遣わねえがいいだ。そして……」
 と顔を向け直すと、ちょっと上まぶたで客を視《み》て、
「旦那さん、いつ帰るかね。」
「いや、深切《しんせつ》は難有《ありがた》いが、いま来たばかりのものに、いつ出程《たつ》かは少し酷《ひど》かろう。」
「それでも、先刻《さっき》来た時に、一晩|泊《どまり》だと言ったでねえかね。」
「まったくだ、明日は山中《やまなか》へ行くつもりだ。忙しい観光団さ。」
「緩《ゆっく》り居なされば可《い》いに――では、またじきに来なさいよ。」
 と、真顔で言った。
 客はその言《ことば》に感じたように、
「勿論来ようが、その時、姐さんは居なかろう。」
「あれ、何でえ?……」
「お嫁に行くから。」
 したたか頭《かぶり》を掉《ふ》って、
「ううむ、行かねえ。」
「治兵衛坊主が、たって欲しいと言うそうだ。」
「馬鹿を言うもんでねえ。――治兵衛だろうが、忠兵衛だろうが、……一生嫁に行かねえで待ってるだよ。」
「じゃあ、いっそ、どこへも行かないで、いつまでもここに居よ
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