山家の冬は、この影よりして、町も、軒も、水も、鳥居も暗く黄昏《たそが》れた。
 駒下駄のちょこちょこあるきに、石段下、その呉羽の神の鳥居の蔭から、桃割《ももわれ》ぬれた結立《ゆいたて》で、緋鹿子《ひがのこ》の角絞《つのしぼ》り。簪《かんざし》をまだささず、黒繻子《くろじゅす》の襟の白粉垢《おしろいあか》の冷たそうな、かすりの不断着をあわれに着て、……前垂《まえだれ》と帯の間へ、古風に手拭《てぬぐい》を細《こまか》く挟んだ雛妓《おしゃく》が、殊勝にも、お参詣《まいり》の戻《もどり》らしい……急足《いそぎあし》に、つつッと出た。が、盲目《めくら》の爺《とっ》さんとすれ違って前へ出たと思うと、空から抱留められたように、ひたりと立留って振向いた。
「や、姉ちゃん。」――と小児《こども》が飛着く。
 見る見るうちに、雛妓の、水晶のような※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》った目は、一杯の涙である。
 小春は密《そっ》と寄添うた。
「姉ちゃん、お父ちゃんが、お父ちゃんが、目が見えなくなるから、……ちょっと姉ちゃんを見てえってなあ。……」
 西行背負の風呂敷づつみを、肩の方から、いじけたように見せながら、
「姉ちゃん、大すきな豆の餅《あんも》を持って来た。」
 ものも言い得ず、姉さんは、弟のその頭《つむり》を撫《な》でると、仰いで笠の裡《うち》を熟《じっ》と視《み》た。その笠を被《かぶ》って立てる状《さま》は、かかる苦界にある娘に、あわれな、みじめな、見すぼらしい俄盲目には見えないで、しなびた地蔵菩薩《じぞうぼさつ》のようであった。
 親仁《おやじ》は抱しめもしたそうに、手探りに出した手を、火傷《やけど》したかと慌てて引いて、その手を片手おがみに、あたりを拝んで、誰ともなしに叩頭《おじぎ》をして、
「御免下され、御免下され。」
 と言った。

「正念寺様におまいりをして、それから木賃へ行《ゆ》くそうです。いま参りましたのは、あの妓《こ》がちょっと……やかたへ連れて行きましたの。」
 突当《つきあたり》らしいが、横町を、その三人が曲りしなに、小春が行きすがりに、雛妓《おしゃく》と囁《ささや》いて「のちにえ。」と言って別れに、さて教授にそう言った。
 ――来た途中の俄盲目は、これである――
 やがて、近江屋の座敷では、小春を客分に扱って、膳を並べて、教授が懇《ねんごろ》
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