う。芸妓《げいしゃ》である。そのまま伴って来るのに、何の仔細《しさい》もなかったこともまた断るに及ぶまい。
 なお聞けば、心中は、単に相談ばかりではない。こうした場所と、身の上では、夜中よりも人目に立たない、静《しずか》な日南《ひなた》の隙を計って、岐路《えだみち》をあれからすぐ、桂谷へ行くと、浄行寺《じょうぎょうじ》と云う門徒宗が男の寺。……そこで宵の間《ま》に死ぬつもりで、対手《あいて》の袂《たもと》には、商《あきない》ものの、(何とか入らず)と、懐中には小刀《ナイフ》さえ用意していたと言うのである。
 上前《うわまえ》の摺下《ずりさが》る……腰帯の弛《ゆる》んだのを、気にしいしい、片手でほつれ毛を掻きながら、少しあとへ退《さが》ってついて来る小春の姿は、道行《みちゆき》から遁《に》げたとよりは、山奥の人身御供《ひとみごくう》から助出《たすけだ》されたもののようであった。
 左山中|道《みち》、右桂谷道、と道程標《みちしるべ》の立った追分《おいわけ》へ来ると、――その山中道の方から、脊のひょろひょろとした、頤《あご》の尖《とが》った、痩《や》せこけた爺《じい》さんの、菅《すげ》の一もんじ笠を真直《まっすぐ》に首に据えて、腰に風呂敷包をぐらつかせたのが、すあしに破脚絆《やぶれぎゃはん》、草鞋穿《わらじばき》で、とぼとぼと竹の杖《つえ》に曳《ひ》かれて来たのがあった。
 この竹の杖を宙に取って、さきを握って、前へも立たず横添《よこぞい》に導きつつ、くたびれ脚を引摺ったのは、目も耳もかくれるような大《おおき》な鳥打帽の古いのをかぶった、八つぐらいの男の児《こ》で。これも風呂敷包を中結《なかゆわ》えして西行背負《さいぎょうじょい》に背負っていたが、道中《みちなか》へ、弱々と出て来たので、横に引張合《ひっぱりあ》った杖が、一方通せん坊になって、道程標《みちしるべ》の辻の処で、教授は足を留めて前へ通した。が、細流《せせらぎ》は、これから流れ、鳥居は、これから見え、町もこれから賑《にぎや》かだけれど、俄めくらと見えて、突立《つった》った足を、こぶらに力を入れて、あげたり、すぼめたりするように、片手を差出して、手探りで、巾着《きんちゃく》ほどな小児《こども》に杖を曳かれて辿《たど》る状《さま》。いま生命《いのち》びろいをした女でないと、あの手を曳いて、と小春に言ってみたいほど、
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