もなきにしもあらずであったろう。
二十七八年戦争当時は実に文学者の飢饉歳《ききんどし》であった。まだ文芸倶楽部は出来ない時分で、原稿を持って行って買ってもらおうというに所はなく、新聞は戦争に逐《お》われて文学なぞを載せる余裕はない。いわゆる文壇|餓殍《がひょう》ありで、惨憺極《さんたんきわま》る有様であったが、この時に当って春陽堂は鉄道小説、一名探偵小説を出して、一面飢えたる文士を救い、一面渇ける読者を医した。探偵小説は百頁から百五十頁一冊の単行本で、原稿料は十円に十五円、僕達はまだ容易にその恩典には浴し得なかったのであるが、当時の小説家で大家と呼ばれた連中まで争ってこれを書いた。先生これを評して曰く、(お救い米)。
その後にようやく景気が立ちなおってからも、一流の大家を除く外、ほとんど衣食に窮せざるものはない有様で、近江新報その他の地方新聞の続き物を同人の腕こきが、先を争うてほとんど奪い合いの形で書いた。否《い》な独り同人ばかりでなく、先生の紹介によって、先生の宅に出入する幕賓連中迄|兀々《こつこつ》として筆をこの種の田舎新聞に執ったものだ。それで報酬はどうかというと一日一回三枚
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