い《アインザアム》と云ふ心の底から絞り出したやうな老人の詞が、メスのやうに私の胸に迫つた。老人の人懷しさうな瞳には涙が潤んでゐた。
「でも、やつとこのカフエエの女達と知合になりました。みんなはほんとに親切です。だが、惜しい事に私は日本語が話せません……」老人は再び寂しい微笑を浮べて、そのまま口を噤んだ。
部屋の中にはひよいと沈默が續いた。十二時に近い夜の町は裏通だけにひつそりと鎭まつて、近くの大通から響く電車の軋りが[#「軋りが」は底本では「軌りが」]侘びしげに聞こえた。
「さあ大分晩くなつたやうです。いづれまた此處でお眼に掛からうぢやありませんか……」老人はふとかう云つて立ち上つた。そして[#「そして」は底本では「そしで」]、帳場へ急いで拂ひを濟ますと、また私の處へ戻つて來た。そして、覺束ない日本語で云つて、手を差し延べた。
「さよなら……」
「ダス井ダニエ……」私は老人の手を力強く握り締めて、互に親しみの籠つた笑顏を見合せた。
老人は少しよろめくやうにして戸口の外へ出て行つた。私の眼にはそのうしろ姿の寂しさが強く殘つた。私は自分の椅子に歸つて、Kと共に詞もなくぼんやりしてゐた。
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