「おい君。先生。話の樣子はどうだつたい? 厭やにしん[#「しん」に傍点]猫を極めてたね……」離れた卓で給仕女達とふざけてゐた醉ひどれ男は、縺れた舌でがむしやらに呶鳴つた。
「やつぱりロシヤから遁げて來た、可哀想な老人ですよ……」云ひながら、私はコツプを取り上げて、飮み殘しの冷えたビイルを一息にあほつた。
「はつはつは、人間、ロシヤなんかに生れるのが不仕合せだ。己は日露戰爭のちよつと前に日探の嫌疑で掴まつてね、三月ばかりチタの監獄で臭い飯を食つたよ。そん時しみじみさう思つたね……」と、頭を短く刈つて、二重廻しをだらしなく羽織つた、でつぷり肥つた體のこなしの何處となく卑しい感じのする男の樣子が、支那浪人と云つた想像を私に描かせた。
「ぢや、そん時のロシヤ語ですね。」
「さうだ。ロシヤ人だと云ふんであの年寄と話さうとしたが、ガスボデイン、ダア、ニエエト、それつきりしか覺えてねえんだ。これぢやお話にならないさ。はつはつはつは……」彼は身を反らして、腹に波打たせるやうにして、無遠慮に哄笑した。
「行かうぢやないか……」と、Kに促されて、私達は拂ひを濟まして立ち上つた。
「まあ待ち給へ。もう少し
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