程流暢ではなかつた。それが少し私を元氣づけた。
「いいえ、學生生活はもう終りました。」
「それにしては大變若く見えますよ……」と、老人は怪訝さうに私を見て、默り込んだ。
「何時日本へおいででしたか?」
「一月程前に……」
「一體、あなたの故郷は何處です……」話の中絶する手持無沙汰をもて餘して、反對に何かを訊ねようとあせりながらかう云つた時、老人はひよいと眞顏のなつた。と同時に、その眼は何か悲痛な事柄にでも出會つたやうに暗い瞬きを繰り返した。そして、やがて深い惱みの色がその微醺を帶びた顏中に擴がった。
 老人の刹那の表情の變化を見ながら、自分の迂濶な詞がその胸に與へた或る痛みを想像した時、私の頭には老人の背後に大きな悲劇の影を作つてゐるロシヤのことがふと思ひ浮んだ。そして、この好人物らしい老人が、若しや不幸な、慘酷な運命の渦卷の中に呻いてゐる故國から心を破られ、住む家を追はれて寂しく流浪して來た不幸な人達の一人ではないかと思つた時、自分の心なき問の詞を悔いずにはゐられなかつた。
 暫くの沈默の内に暗い回想に沈んでゐたらしい老人は、やがてためらひながら、重い唇を開いて云つた。
「ハリコフだ
前へ 次へ
全12ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
南部 修太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング