ゐたカフエ・プランタンがそれらしい。勿論《もちろん》、個個《ここ》に遊《あそ》び樂《たの》しんでゐた人達《ひとたち》は外《ほか》にもあつたらうが、少《すくな》くとも麻雀戲《マアジヤンぎ》の名《な》を世間的《せけんてき》に知《し》らせたのはどうもあすこだつたやうに思《おも》はれる。その意味《いみ》で、狹《せま》い路次《ろじ》の奧《おく》にあつた、木造《もくざう》の、あのささやかな洋館《やうくわん》は日本麻雀道《にほんマアジヤンだう》のためには記念保存物《きねんほぞんぶつ》たる價値《かち》を持《も》つてゐるかも知《し》れない。
「どうも今《いま》考《かんが》へると、をかしなことをやつてゐたもんだよ。」
と、佐佐木茂索《ささきもさく》は或《あ》る時《とき》僕《ぼく》に彼《かれ》らしい靜《しづ》かな笑《わら》ひを洩《も》らしながら語《かた》るのだつた。
何《なん》でも市川猿之助《いちかはゑんのすけ》と平岡《ひらをか》權《ごん》八|郎《らう》が洋行歸《やうかうがへ》りに上海《シヤンハイ》で麻雀牌《マアジヤンパイ》を買《か》ひうろ覺《おぼ》えにその技法《ぎはう》を傳《つた》へたのださうだが、集
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