目《もくめ》に對《たい》してといふだけに全《まつた》く驚《おどろ》かずにはゐられない。
 が、然《しか》し、それもこれもつまりは勝負事《しようぶごと》に勝《か》ちたいといふ慾《よく》と、誇《ほこり》と、或《あるひ》は見得《みえ》とからくるのかと思《おも》ふと、人間《にんげん》の卑《いや》しさ淺《あさ》ましさも少々《せう/\》どんづまりの感《かん》じだが、支那人《しなじん》の麻雀《マアジヤン》ばかりとは言《い》はず、日本人《にほんじん》のあの花合《はなあは》せにさへ實《じつ》に多岐多樣《たきたやう》な詐欺《さぎ》、いんちき[#「いんちき」に傍点]の仕方《しかた》があるといふのだから、勝負事《しようぶごと》といふものが存在《そんざい》する限《かぎ》り止《や》むを得《え》ないことかも知《し》れない。一|時《じ》麻雀競技會《マアジヤンきやうぎくわい》の常勝者《じやうしようしや》としてその技法《ぎはふ》をたゞ驚歎《きやうたん》されてゐた某《それがし》が、支那人式《しなじんしき》の仕方《しかた》からすれば至極《しごく》幼稚《えうち》な不正《ふせい》を行《おこな》つてゐたことが分《わか》るし、結局《
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