》の扱《あつか》へる時《とき》ほど麻雀《マージヤン》に快《こゝろよ》い陶醉《たうすゐ》を感《かん》じる時《とき》はない。自然《しぜん》、そこが麻雀《マージヤン》の長所《ちやうしよ》でもあり短所《たんしよ》でもあつて、どつちかと言《い》へば玄人筋《くろうとすぢ》のガンブラアには輕蔑《けいべつ》される勝負事《しようぶごと》のやうに思《おも》はれる。けれど、實際《じつさい》はそれこそ麻雀《マージヤン》が人達《ひとたち》を魅惑《みわく》する面白《おもしろ》さなので、誰《だれ》しも少《すこ》しそれに親《した》しんでくるといつとなくその日《ひ》その時《とき》の縁起《えんぎ》まで擔《かつ》ぐやうになるのも愉快《ゆくわい》である。そして、その點《てん》でとりわけ物事《ものごと》に縁起《えんぎ》を擔《かつ》ぐ支那人《しなじん》が如何《いか》に苦心《くしん》焦慮《せうりよ》するかはいろいろ語《かた》られてゐることだが、全《まつた》く外《ほか》のことでは如何《いか》なる擔《かつ》ぎ屋《や》でもない僕《ぼく》が麻雀《マージヤン》の日《ひ》となると、その日《ひ》の新聞《しんぶん》に出《で》てゐる運勢《うんせい》
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