《かくか》の昇天《しようてん》の御勢《おんいきほひ》にはわたくし共《ども》まるで木《こ》つ葉《ぱ》微塵《みぢん》の有樣《ありさま》でございましたな。」
「ふふふふ、弱《よわ》いなうお前等《まへら》は……」
 定《さだ》めてあの張作霖《ちやうさくりん》がそんな風《ふう》に相好《さうかう》を崩《くづ》してのけぞり返《かへ》つただらうと思《おも》ふと、その昔《むかし》馬賊《ばぞく》の荒武者《あらむしや》だつたといふ人《ひと》のよさ[#「よさ」に傍点]も想像《さうざう》されて、無殘《むざん》な爆彈《ばくだん》に血染《ちぞ》められたと言《い》ふその最後《さいご》が傷《いた》ましくも感《かん》じられはしないだらうか?
 張作霖《ちやうさくりん》と言《い》はず、如何《いか》に支那人《しなじん》が麻雀《マアジヤン》を好《す》くかといふことはいろいろ話《はなし》に聞《き》くが、驚《おどろ》くことは彼等《かれら》二|日《か》も三|日《か》も不眠不休《ふみんふきう》で戰《たゝか》ひつづけて平氣《へいき》だといふことだ。僕《ぼく》、この遊《あそ》びを覺《おぼ》えてから足掛《あしか》け五|年《ねん》になるが、食事《しよくじ》の時間《じかん》だけは別《べつ》として戰《たゝか》ひつづけたレコオドは約《やく》三十|時間《じかん》といふのが最長《さいちやう》だ。それはたしか去年《きよねん》の春頃《はるごろ》、池谷《いけのや》信《しん》三|郎《らう》の家《うち》でのことで、前日《ぜんじつ》の晝頃《ひるごろ》はじめて翌日《よくじつ》の夕方過《ゆふがたす》ぎまで八|圈戰《けんせん》を五|回《くわい》ぐらゐ繰《く》り返《かへ》したやうに思《おも》ふが、終《をは》りには頭《あたま》朦朧《もうろう》として體《からだ》はぐたぐたになつてしまつた。そして、二三|日《にち》その疲《つか》れの拔《ぬ》け切《き》らないのに今更《いまさら》自分《じぶん》の愚《おろか》さを悔《く》いたやうな始末《しまつ》だつたが、支那人《しなじん》が二|日《か》も三|日《か》も戰《たゝか》ひつづけて平氣《へいき》だといふのは、一《ひと》つは確《たしか》に體力《たいりよく》のせゐに違《ちが》ひない。が、もう一《ひと》つは氣質《きしつ》の相違《そうゐ》によるものだらう。言《い》ひ換《か》へると、支那人《しなじん》は技法《ぎはふ》の巧拙《かうせつ
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