は、先生を餘《あまり》に冷たく嚴《いかめ》しくする inhumane な道徳であつた。先生を一個の偶像として遠くから崇敬するのは容易であるが、若々しい或る憧憬の絶間ない私達にとつて、それは餘に寂しいことであつた。私達は何處までも先生を温い懷しい人間として、近寄つて親しみたかつたのである。が、先生達は私達が親しめば親しまうとするだけ、自己の周圍に城壁を築いた。そして益々自己を偶像化さうとした。而《しか》も、時には偶像としての自己を壇上に置いて私達を冷《ひやや》かに見降さうとする矯飾的態度さへ現した。その態度を私達は冷笑したかつた。その城壁の隙間から見える先生達の固陋《ころう》さを碎いてしまひたかつた。
「つくね芋、五萬圓……」かう呼んでみる時、私達の心には期待を裏切られた腹いせの滿足と、偶像をこき降す小さな快感が潜んでゐた。同じ意味で、高橋順介先生は間もなく私達から「猫又」の仇名を奉られた。その仇名の由來はかうである。
 丁度その頃、私達の使つてゐた國語讀本に「猫又」と云ふ小話が載つてゐた。
「猫又よ、やよ猫又よと申しければ……」と、先生はその中の一句を、田舍《ゐなか》訛《なま》りの可笑
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