し鼻にかかつたねばり聲から、乾干《ひから》びきつた倫理の講義を授けられた。また小才子の英語の先生がゐた。生白い顏に、紅を塗つたやうな唇、そして張り物のやうにぴつたり分けた髮の毛。彼が小首を傾けて氣取りながら、生徒達の機嫌を窺《うかが》ふやうな眼附をして、にたりと笑ふ時、私達は蟲酸《むしづ》の走るやうな輕薄さを感じた。五萬圓の財産家たることを畢世《ひつせい》の理想としてゐた漢文の先生の憧憬。何かの式や遠足の時と云ふと軍服を着けて來て、日清日露役の從軍記章と、功六級の金鵄《きんし》勳章と、勳七等の青色桐葉章を得意氣にぶら下げた動物學の先生の稚氣、それ等は寧ろ氣持の好い先生達の愛嬌だつた。
私達は教頭を「つくね芋」と呼び、漢文の先生を「五萬圓」と呼んでゐた。これ等の多くの先生達の内、正確にその名を呼ばれてゐたのは既に學校を去られた歴史の杉山先生だけだつた。杉山先生の親しみ深い人格には仇名《あだな》を以て呼ぶ程の隙がなかつたからである。然し、私達が先生を仇名で呼ぶのは、必ずしも惡意や皮肉にばかり由來するのではなかつた。一體私達の感情から云へば、七尺去つて師の影を踏まずと云つたやうな儒教的道徳
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