、戸川秋骨の諸氏とみすぼらしい座棺のあとに從ひながら、三河島火葬場へ向ふべく同勢わづか七八人でその御藏橋を渡つて行つたといふお話などは、殊更に自分の胸を強く打つものがあつた。
「みじめなものだつたんですね、あの時分の人達は……」と、自分は思はず先生を顧みてやや叫ぶやうにして言つた。
 報いられる事薄かつた明治時代の文人の中でも、緑雨は恐らくその不遇なるものの隨一人だつたであらう。それにしても、自分の少年期の長崎時代の思出に漸く殘る粗末な感じの座棺に收められて、その人をよく知る者の十指に充たぬ人達の葬送を得るに過ぎぬとは何といふ佗びしさか? その頃の隅田川岸と言へば自分の記憶にもぼんやり浮ぶが、低い家の立ち並んだ薄暗い泥の道、晩秋のうそ寒い川風の中をトボトボと辿り行くであらう寂しい葬送行進曲! それが明治文學史にあれほど特異な存在を刻みつけた文人の人生への告別だつたのだ。
 兩國橋の袂で先生と自分は一錢蒸汽に乘つた。隅田川へくると自分はきつとこれに乘る。芥川龍之介とも乘つた事があるが、何か間のぬけたのびやかさが好きなのだ。先生が臺灣旅行の話をなさると、自分は支那の旅を語る。例の呼び賣りの
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