した内田誠君から、久保田夫人告別式の歸途自動車事故で足に負傷したのでお伴出來ぬと斷りの電話が掛かる。それで馬場孤蝶先生と二人だけで行く事になつた譯だが、お宅へお迎ひになどと思つてゐる矢先ちよつとした客來があつたので、お約束のまま午後一時に京橋の明治製菓賣店の前で先生と落ち合ひ、すぐ本所工場へ向つた。
工場の觀覽は我我煙草好きには甚だ興味深い筈のものだつたが、結局割に單純な「曉」の製作課程を見せられただけで、殊に自分は横濱の博覽會でその中心部分を既に見た事があるので、全く期待はづれの始末だつた。而も、ついうつかりと生温い空氣のむつとした煙草葉乾燥室へはいつた刹那、輕い喘息の發作を誘發され、あとになつて今日は珍しく用心深く携へて來たアストオル吸入器が役に立つやうな羽目になつてしまつた。
三十分あまりで工場を出ると、馬場先生と自分とは厩橋あたりの隅田川岸へ出て、川沿ひに兩國の方へ歩いて行つた。先生との散策はまるで明治文學史と歩み動くやうな感じだ。話はお好きだし、御記憶は生き生きしてゐるし、御藏橋の近くで齋藤緑雨の死を思ひ出されて、明治三十七年の十一月の或るうそ寒い夕方、幸田露伴、與謝野寛
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