てゐる實感《じつかん》の強さから、可成り感動《かんどう》して作品《さくひん》を讀む事が出來《でき》ます。で、一體私は有島[#「有島」に丸傍点]氏のその作品|竝《ならび》に作者《さくしや》の心の世界《せかい》に對して共鳴《きようめい》も有《も》ち、その眞摯《しんし》な作風《さくふう》に對して頭《あたま》を下げてゐる者ですが、時に人が、有島[#「有島」に丸傍点]氏は僞善者《ぎぜんしや》ではないか、非常にその創作的態度《さうさくてきたいど》に於て、進撃的《アグレシイヴ》で、意志《いし》の強《つよ》さうなところがあり乍ら、どつか臆病《おくびやう》なところがあるではないかといつたやうな言葉《ことば》を聞かされた事があります。これは無論《むろん》作者《さくしや》に對する一|種《しゆ》の僻見《へきけん》かも知れませんが、事實《じじつ》に於ては、私も氏の作品《さくひん》に強く心を惹《ひ》かれ乍らも、どこかにまだ心持《こゝろもち》にぴつたり來ない點がないではありません。その隙間《すきま》は氏が熱情的《ねつじやうてき》な理想家《りさうか》のやうに見え乍ら、その底に於ては理智が[#「理智が」は底本では「理智
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