《さくしや》の理智《りち》といふものがその裡《うち》に一層強く働《はたら》いて居るやうな氣がします。即ち或|作品《さくひん》では、例へば、「石にひしがれたる雜草[#「石にひしがれたる雜草」に白三角傍点]」と云つたやうな作品では、主人公の心持の限界《げんかい》を越《こ》えて、作者の理智《りち》がお芝居《しばゐ》をし過《す》ぎて居る爲めに、その心持がどうしても頷《うなづ》けなくなつて來る。で、また作者《さくしや》が愛を熱心《ねつしん》に宣傳《せんでん》して居るやうな場合《ばあひ》にでも、寧ろその理智《りち》を以て故《ことさ》らにそれを力説《りきせつ》しようとする爲めに、どうかするとその愛は、作者《さくしや》の心から滲《にじ》み出たものではなくて、宣傳《せんでん》の爲めに宣傳《せんでん》してゐると云つたやうな感《かん》じがする事があります。しかし、又一方から見ると作者《さくしや》の愛《あい》が實際《じつさい》にその衷心《ちうしん》から滲《にじ》み出てゐる例へば「小さき者へ[#「小さき者へ」に白三角傍点]」の中に於ける、子供に對する主人公の愛《あい》といつたやうな場合には、そこに釀《かも》され
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