に汗を流しながらペンを動かした。机の脇につきつきりの編輯者は印刷を急ぐためにその原稿を一枚一枚はぎ取るやうに持つて行つた。
「己はトルストイが羨ましい。何と奴は悠悠と原稿を書いてゐる事か?」
或る時ドストイェフスキイはさう呟いたといふ。格別な家柄でもなく一介の土木技手上りに過ぎない貧乏な作家と、大地主で大金持で伯爵の名門に生れた作家と、その呟きには何か胸を打つものさへあるが、とにかくドストイェフスキイは時には境遇的にも自分の原稿を讀み返す暇さへ持てなかつた。が、大體氣質的にも奔放自在型の作家であるドストイェフスキイは特に文章を推敲琢磨するといふやうな努力は全然持たなかつた。その點刻苦精勵型のチェエホフとは全く反體で、手元に置けば置くほどその文章は或は長くなつたかも知れない。從つて、ドストイェフスキイの文章は時とすると粗雜で冗漫で、思はず欠伸を感じるほど退屈な場合さへある。然し、それにも拘らずドストイェフスキイはなほ且つ偉大なのだ。
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チェエホフとドストイェフスキイとは、同じロシアの産んだ優れた作家ながら二人はあらゆる點で對蹠的だ。他の點は別問題として、今二
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