あるが、殊にチェエホフの文章に對する推敲琢磨振りは一方ならぬものがあつたらしい。

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「どうぞもう持つて行つてしまつてくれ給え。僕の手元に置いとくと、あんまり短く短くと骨を折り過ぎて、どうやら文章が無くなつてしまひさうだよ。」
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 これは或る時チェエホフが雜誌の編輯者に言つた冗談だと言ふが、原稿が眼の前にある限りチェエホフは文章を簡潔に適確にしようと努めてやまなかつたらしい。ちやうど寶石細工人が玉をけづり磨いてほんとの美しい光と形を得ようと努めるやうに‥‥。

        5

 世界文學に於ける最も偉大なるリアリストと言はれるフョウドル・ドストイェフスキイはかの驚くべき長篇小説の數多くを殘して行つた。ドストイェフスキイはその精力的な寧ろ恐ろしいほどの筆の力のままに營營と書いた。時には殆ど走るやうに書きなぐりさへした。たとへば或る時代ドストイェフスキイは貧困のどん底にあつた。幾日も十分な食事が取れないために乳呑兒をかかへながら妻は乳が涸れるほどの非慘さだつた。そして、ドストイェフスキイは一刻も早く原稿を金に換へなければならないために額
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