氣質と文章
南部修太郎
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)temperament《テンペラメント》 といふ
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)里見※[#「弓+享」、第3水準1−84−22]
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「文は人なり。」
これは高山樗牛の有名な詞である。が、今は古めかしいこの詞も結局は永遠の眞理である。言ひ換へると、文章は人格の再現なりといふ事になるが、これをもつと狹い意味に文章は氣質の再現なりとも言へると思ふ。
實際、文章ほど複雜多岐多樣の相貌形態を持つてゐるものはないが、これは作者なり筆者なりの人格或は氣質が自然に現れ出でるからに外ならない。新聞記事とか科學者の研究論文などは適確な事實の報道乃至は冷靜な眞理の報告のためであつて、文章としては全然筆者の主觀の介在すべき性質のものではない筈であるが、なほ且つそこには筆者獨自のいろいろな調子や色合が現れ出る。で、繪畫や筆蹟などにはしばしば殆ど眞に近い贋物があり得るが、文章の贋物などは絶
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