對に不可能と言つていい。まだ年若な文學志望の人達の中に武者小路實篤を眞似るとか、久保田万太郎を模倣するとかいふのがよくあるが、完全に似せ得るものでもないし、またそんな文章に、言ふならば、作者或は筆者の人格なり氣質なりの現れ出ない贋造の文章に文章としての生命や面白味は全然ないのである。で、一人の人間の文章の達成とは、やや極端に言へば、その人なりの個性や氣質を十分に生き生きと生かし、織りなす文章を作り上げるといふ事に外ならない。
2
氣質とは何か? 殆ど文學的な常用語になつてゐる temperament《テンペラメント》 といふ英語はこれに當るのだが、その人の精神的素質、もう少し碎いて言へば、その人の心の持前《もちまへ》といふやうな事になる。どうもかういふ詞の定義はなかなかむつかしいが、先天的なものでもあり、また同時に後天的なものでもある人間の素質、さうかと言つて、その人に嚴然と動きなく備はるといふほどでもなく、時には氣分に依つて刹那的に幾分の變化動搖を見せぬ事もないのだが、とにかくその人の根柢に横はつて自然に流露してくる心の姿とでも言つたらいいであらうか?
「何と言
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