人の文章を較べてみると、作家の氣質といふものがそれと相互的にどう働き合ふかがよく分る。前者は線の細い、頭の冴えた、幾らか神經質ではあるが、靜かな、温厚な、優しみのある紳士型、後者は線の太い、鋭い恐ろしい凝視力を持つ、進撃的な、意志的な、力強い鬪士型、そこに想像される二人の氣質の相違は必然に文章の相違となつて現れてゐる。前者は纎細簡潔、冗漫や無駄を嫌つて一字一字を惜みながらコツコツと筆を運んだが、後者は深刻重厚、筆力のあふれるままにグングン筆を走らせた。後者の文章に熱と力と劇しい情感の渦が感じられる時、前者のそれに味はれるものは美しさと典雅さと懷しい情緒《ペイソス》の魅力である。もとよりそれぞれに一家の特色を持つてゐる二人の文章に是非優劣などは言はるべきでない。假りにドストイェフスキイの文章が時に粗雜退屈の感を免れず、チェエホフのそれが時にあまりに弱弱しく微温的だと感じられるにしても、それは大局から見ては勿論何物でもないであらう。要するに優れたる偉大な作家ほどその文章の中に自己を、己れの持前をはつきり生かすものだといふ事を看取すべきである。そして、繰り返して私は言ふ、一人の人間の文章が達
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