遠くの空を流れて行く、何處とも知れない工場の鈍い汽笛が、私の耳を掠めて行つた。そして、それが私の意識をこぼれるやうにすつと外に誘つたかと思うと、同時に助手の聲が『十八‥‥‥』と、高く響いた。意識が小波を打つて輕く途惑つた。が、再びはつきりそれが手術室の中に歸つて、お前の習ふ聲を待ち構へた時、私はそれに代る自分の胸の動悸を聞いた。部屋はしんとなつた。動悸が急に高くなつたやうな氣がした。眼はお前の顏の上にす早く走つた。と、間もなく、お前は『十六‥‥‥』と呟やいた。水島は滴壜とマスクの上に支へた助手と、ひよいと顏を見合せた。
『|來たね《シユラアフ・ズヒテン》‥‥‥』と、水島は小聲で云つた。
『十九‥‥‥』と、助手は水島の詞に幽かに頷いて、急に力を込めた聲で數を讀んだ。
『十九‥‥‥』と、長い間を置いて、お前はやつと『九』が聞えるばかりのか細い聲で續けて、深い息を吸つた。
『脈《プルス》は‥‥‥』と、また水島はきらりと眼を光らせて囁いた。
『九十三《ドライ・ノインチツヒ》‥‥‥』と、お前の右手を支へてゐた助手が答へた。
 私は窓際から我知らず一歩程體を前に進めて、その助手の傍に立つて、ぢつと
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